東アジアにおける「冊封・朝貢」の終焉とその記憶の形成過程
(科学研究費・基盤研究B、平成20-22年度、金額:合計900万円<直接経費>+270万円
<間接経費>、課題番号:20330031、研究代表者:川島真/研究分担者:茂木敏夫、岡本隆司)
グローバル化と台頭する中国という二つの大きな変容要因に直面している東アジアの国際政治、国際関係を考える上で、東アジアに歴史的に内在したとされている伝統的国際秩序が、その存在の有無をふくめて注目され、重要な課題となっている。本研究では、冊封・朝貢などという語とともに用いられる中国を中心とする伝統的な国際秩序なるものが、存在の有無への問いも含めて、それが果たしてどのようなもので、どのように意識化されてきたのかということを、19世紀の後半から20世紀後半に至る長期的なスパンで解明することを目的とする。
実際、東アジアの「伝統」とされる国際秩序は、そもそも体制やシステムといえるほど制度化されていたわけでも、また単純なものではなく、そしてそれは特に19世紀後半に相当の変容を遂げ、19世紀末から20世紀初頭に制度的、理念的に衰退していく最終過程があり、それとほぼ同時に新たな記憶作りが中国や日本などで始まり、やや単純化された図式で「伝統」が描かれ、学校教育や著作物により理念化されて、社会の記憶となり、それが中国の外交政策の理念的根拠としてしばしば用いられるに至った。現代の中国外交をめぐってしばしば指摘される、中国外交の伝統、大国外交、あるいは中華思想などという言説、そして東アジアの伝統的国際秩序なるものの総体は、この過程全体、ほぼ百年全体を描き出してこそ、はじめて解明し、理解できるであろう。
しかし、実際のところこれまでの研究は19世紀の後半の「条約と朝貢」の対立過程を描き、あるいは伝統的秩序の変容を実証的に解明してきたものの、日清戦争前後以後の状況となるとほとんど研究がない。そうであるがため、昨今の東アジア地域論、東アジア共同体論、東アジア国際秩序を論じる際に、比較的安易に歴史的アナロジーとして冊封や朝貢なる語が乱用される傾向にあり、歴史からの誤ったメッセージが現代社会に伝えられている面もある。そこで、アジア政治外交史研究がおこなうべき、学術的にも意義があり、かつ現代社会に対する歴史からの提言としてふさわしいものとして、上記のような課題を設定した。