MENU

ニューヨークとワシントン(2003.2-3)

 久しぶりにニューヨークとワシントンに行った。5000マイルを超えるフライトは中国研究者には珍しいことかもしれないが、これから頻繁に通うことになるかもしれない。

 NYでは、国連本部に行った。安全保障理事会は休みであったが、この前の週までテロ警戒が「オレンジ色」(第二水準、第一は赤)であったこともあり、多少ピリピリした雰囲気である。日本の国連代表部に既知の方がいらしたので、久しぶりに訪ねた。日本における国連外交のコンセプト、今回のイラク問題に対するスタンスなど、話は多岐にわたった。そのうち、興味深かったことが二つある。ひとつは、やはりイラク問題のことだろう。日本では、日本のイラク問題に対するスタンスについて、戦争賛否、アメリカ追随の可否などといった、是々非々論が展開され、マスコミもそれをあおっているが、実際のところはそうしたところにポイントがあるわけではない、というのが話の趣旨であった。ではどこにポイントがあるのかと言えば、イラクという国がきちんと国連決議(主に安保理決議)を遵守するのかどうかということにあり、日本はそこを重視しているというのである。興味深かったことの二つ目は、国連という場についてである。国連に対してある種の「理想」を求めるのはいいことだが、実際は相当どろどろした「現実的外交」の世界だという話である。国連は確かに軍事力や安全保障の面では「国家」に抑制されつつも、グローバリゼーションが進む現在、「社会」「経済」などの面で国連が現実的で、実際の調整役になる場面が増えているという。そして、そこにおいては、「国連」それじたいが意思をもつというよりも、やはり「国家」の足し算としての国際社会が形成されている側面が強いというのだ。従って、ある会議である国と手を組み、ある会議ではその国と目を吊り上げて敵対する、そんなことが日常茶飯事とのことであった。こうした現実的な観点にたった国連研究が急務だと思われた。ちなみに中国については、「あまり慣れていないようですね」というコメントだった。
 だが、実際に日本という国が国連を含めたこのNYで何か「目立つこと」をして認められていくのは相当難しいようだ。国連でも、確かに安保理の常任理事国並みか、それ以上に多くの小委員会に出ているが、では日本は何をしているのかと問われると特徴がないという問題があり、また手段としてはやはりODAしかないという。また、NYUに留学している同僚は、これほど日米間の経済関係などがあるというのに、大学などでも日本のプレゼンスが確認できないとのこと。日本が見えないのだという。そして、国際文化交流をしている知り合いは、「ここでは多額のお金をつぎ込むのはあたりまえ、それで高い品質を保ってはじめて認められますからね。そうした意味ではどうしようもないですね」と言う。
 『産経新聞』に国際交流基金が反日をあおるようなシンポジウムに助成していると批判記事が相次いで連載されたが、このNYで日本が論じられること、それじたいが意味があるだろうし、また上記の交流団体の方が言うように「むしろ政府系の団体がそうした自由な議論を保証していることに意義が与えられる空間」なのかもしれない。難しいところである。しかし、『外交フォーラム』に五百旗頭真氏が書いていたように、アメリカの日本研究は決して下火ではない。筆者がその著書Japan’s Total Empireの翻訳に加わった(『総動員帝国』岩波書店)、NYUのルイズ・ヤング教授は日本研究の深化を強調していた。彼女自身は、戦前期日本の都市史にいまは関心があるという。 (因みに、松井のことについては、つたない英語力でスポーツニュースなどをきいたところ、どうも本人よりも日本人報道陣やグッズを漁る日本人のことのほうが、遥かに「報道価値」のあるものとして扱われていたような印象であった。)

 ワシントンではナショナルアーカイブに通った。最初にアーカイブⅠに行ってみた。ここはアメリカ国内史関係の文書があるところだが、ちょうど1930年代の統計史料に関する展示などをしていた。これだけ統計があれば数値を基礎にする歴史研究が出てくるわけだろう。アメリカの歴史学の潮流の背景のひとつを思い知る機会であった。このアーカイブⅠはスミソニアン博物館のすぐ傍、つまりワシントン市の真ん中にあるのだが、外交文書などのあるアーカイブⅡは市の北側に位置している。ここまでは地下鉄とバスを乗り継ぐ方法もあるが、アーカイブⅠから一時間に一度バスが出ているのでそれに乗り込んだ。おおそ40分ほどで到着したが、そこからがシステマティックである。まずはIDカードの作成。自分で主要項目を画面上で入力し、あとは写真撮影であっという間にカードができる。それができたら二階の閲覧室に向かうが、そこでアーキビストの丁寧な説明に従いながら目録をあさり文書を申請する。文書が出てくるのが一日に五回程度しかなく、特に午後は少ないので、何とか早めに申請する。筆者は、1950年前後のアメリカの台湾政策・中国政策に関する文書を申請した。殆どがマイクロ化されていたので、マイクロ化されていない部分をまず閲覧した。内容的には、アメリカが台湾に対する支援を軍事ではなく、外交・経済に限定しようとしていく中で、マッカーサーが軍事行動がまったくなくば50年の末までに台湾は共産党に占領されると述べたものなど、興味深いものが多数あった。複写は、一枚一ドル弱と外交史料館なみだが、申請+複写番号取得+コピーカード購入で、そのままゼロックスにかけることができる。経費さえあれば大変便利なシステムだが、突然現れて嵐のように、金にものを言わせて大量に複写して、あっという間に消える日本人、という典型的日本人にはなりたくなかったので、ほどほどに押さえた。また、四階のマイクロ閲覧室も快適だ、番号さえわかれば、自分でマイクロを出し入れして閲覧できる。複写ももちろんできる。マイクロの質はきわめて高い。筆者は、50年代のアメリカの対中政策に関するものを集中的に見た。市民からの意見書に国務省の官僚や大統領の補佐が一つ一つ返答していたのが印象的であった。
 ワシントンでは観光もした。外交と軍事が主要な役割であることにふさわしい、実にこじんまりとしたホワイトハウス。また「戦争時の日本強制収容とアメリカ憲法」という特別展示をおこなっていたスミソニアン博物館、96年という中国でもっとも民主化運動が盛んだった時期に北京とワシントンの交流を記念して立てられた「大門」を擁するチャイナタウン(これは思ったよりも旧華人街的で、台山系統の店が目立った)などなど、大変有意義であった。ワシントンから離れるとき、ちょうどペンタゴンの五角形の真上を通ったのも印象的であった。
 だが、ワシントンのタクシーでは少しからまれた。アラブ系の運転手であったが、筆者が日本人と分かると、日本はなぜアメリカに従うのだ、日本は独立国ではないといった調子で攻めてくる。こちらの英語力の問題もあるが、国会答弁のような反論をしても意味がない。北朝鮮のことを言っても、だからといって戦争に加担するのかといった調子でさしこまれる。ニューヨークで聞いた、日本のイラク問題への立場、国連決議云々だけは、十分な人々の認知が得られないのかもしれないと感じた。(了)

  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

コメント

コメントする

目次
閉じる