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SARSと中国・台湾(2003.5.26)

 SARS問題が中華圏を席巻し、各方面で話題になっている。興味深いことに、北京の発病者は減少傾向にはいるなど、小康状態になってきているが、WHOは北京市当局の指導の下で医師たちが熱があがりきっていない患者はSARSから除外している、またSARS患者との接触が認められない患者については、熱があってもSARS患者としていない(要するに誤診している)ことを以って、北京における状態については楽観を許さないとしている。数字を見ると、興味深いことに、死者数の増加にあわせるように新患者数を設定しており、新患数と死者数をあわせて、少ない回復者分が「減少」として計上されるようになっている。中国共産党、中華人民共和国の官僚の主たる任務のひとつは、こうした目標値にあわせた数字操作なのであるから、そもそも数字を信じるかどうかには問題があるが、そうした数字の中にも操作しやすい数字と操作しにくい数字というものがある。たとえば、死者数は操作しにくいのに対して、新患数などはもっとも操作可能である。もしいま一旦日本に帰国した日本の学生や会社員が新患数の減少を理由にして中国に戻ることを決定したら、それは愚の骨頂とまでは言わないが、ミスリーディングであろう。指標としては、たとえ死者が増加しようとも完治した患者数が急激に増加して治療中の患者が大いに減少するというタイミングだろう。連鎖反応的、また功を競うように友人たちが早く帰ろうとしていることを見て痛々しく感じている。

 さて、ここでの本題は中国のことではない。台湾のことである。実は、北海道大学法学部でも台湾大学に派遣していた交換留学生に対して5月9日に「帰国勧告」を出した。その根拠は、「留学の本文である台湾大学での勉学について、それに専心できる環境にないこと」、また「WHOや日本政府の発する危険度があがったこと」であった。だが、実際には、国立台湾大学内部での被害状況がこちらの予想をうわまわっていたことが直接的な契機であった(こちらから交流協会台北事務所に在留邦人へのマスク給付などをゴールデンウィーク初期に要請したが、返事は恐るべきほどのんびりしたもので、検討中などとのことであったので、こちらから被害状況を知らせ、対応を急ぐよう要請した…その後、いかなる措置がとられたか?)。学生とのやりとりの中で困ったのは、マスクであった。台湾に居た学生たちからマスク不足が伝えられたので、北海道大学病院から、マスクを送ろうとしたのだが、実はWHOが指定したN95(結核用)、N99などは国内において急速に減少しており、とても台湾の学生に送っている場合ではないというのである。原因は、当然のことながらODAである。国内の医療器具まで枯渇させて援助するのかいかがなものかと思ったが、そのようなことを言ってはいられない。手術用のサディカルマスクをいただいて学生に送った。興味深かったのは、N95マスクなどは、もしきちんと装着したら空気のうすい飛行機などにのってはいられないこと、またテレビなどで出ている装着方法は誤っているということであった。そして、ウイルスはマスクをしているからといって防ぎきれるものではなく、手洗い+うがい+サディカルマスクで相当程度予防でき、他方で結核菌ならば確実に防げるN95は結核患者に使わせて欲しいということであった。また、医師たちもSARSと思しき患者がきた場合には、そのサディカルマスクで診察することになっているということだった。それにしても、今年のゴールデンウィークはSARSへの対応で完全につぶれてしまった。

 その後学生たちは帰国したが、台湾のSARSは広がる一方であった。だが、札幌の大通り公園などには台湾人観光客が数多く押し寄せており、「日本人ならば台湾から帰国したら10日間自宅待機」との不思議なほどの対応のズレに驚かざるを得なかった。中国や台湾から帰ってきた日本人は10日待機で、なぜ台湾人観光客はそうした措置が取られないのだろうか。たいへんおかしなことであった。

 そうした中で、石垣島が動いた。台湾人観光客の受け入れにネガティブな姿勢を打ち出したのだった。これは台湾側の反発をかった。実のところ、台湾は沖縄が日本領ということを正式には認めていない(日本側は領土問題として認知はしていない)。従って、沖縄の台湾の代表処は東京の代表処に属しているのではなくて、台北の外交部直属である。そして、台湾は沖縄の経済振興にたいへん熱心であり、台湾人観光客の沖縄渡航に際してはビザなしにするよう日本政府にもとめ(日本の実効支配がおよんでいることは事実上認めている)、それが実現していったプロセスがある。加えて国民党教育の成果もあって、沖縄をかつての属国としてみる(少なくもとも日本に属することには疑問をもつ)という傾向がある(実際に、国民党は戦後まもなくアメリカに対して沖縄の中米共同統治を要請しアメリカに断られ、その後、沖縄が自ら帰属する時期にそなえて国民党の琉球支部を那覇につくったほどであった)。台湾側の反発は、こうした複雑な心情から一層強まったように覚える。もし東京都が同じことをしたら反応は違ったと思われる。だが、実際のところ、沖縄と台湾の関係は本州の人間が考えるよりも遥かに緊密であり、SARSがおさまったら絶対に石垣には行かないといった台湾側の脅しがどこまで本当のものかどうかも怪しいものだった。沖縄県は台湾に県事務所をもつ唯一の都道府県だし、沖縄県内の各地方自治体も台湾の地方政府と姉妹都市などになっている(又吉盛清先生が研究されている台湾における沖縄人の歴史もある)。

 だが、この石垣の件は言わば序曲に過ぎなかった。中山北路の名病院マッカイの医師が関西から四国を旅行して帰国後にSARSに感染していることが判明し、「その無責任な行動」が日本のマスコミでいっせいに取り上げられ、台湾の外交部長や駐日経済文化代表処の大代表が謝罪したが、今度は病院側の記者会見で朝日新聞のT記者がその医師が「買春ツアー」に行っていたのではないかといった疑問を呈し、「その方面」の検査などは大丈夫かと問い、日経の記者は「台湾人は日ごろ中国のSARSへの対応を非難しているが、その資格は無い(台湾人も同じ)」といった主旨の発言をしたため、「記者の失礼かつ無教養で、日本人の傲慢さを示す」態度が台湾で大いに問題となり、いっせいに反日言論が飛び交った。日台の関係は「三人」の言動によって、「断交以来」最悪ともいえる感情のもつれに直面することになってしまったのである。

 この事件のあと、筆者のところにも個人的なメイルが数多く舞い込んだ。日本人記者を非難するメイル、今後の日台関係を憂慮するメイル…。中には、日本人研究者として記者たちを非難し、今後の交流を開いていくような声明を出してはどうかというものもあった。しかし、筆者の考えは以下のとおりであった。「結論的には、日台関係における親日・親台という行動・信条、また両国の信頼関係も、一人の医者、二人の記者の行為、発言で一気に揺らぐ程度のものであること、また日中関係が意外に静かなのに対し、日台関係が今回動揺したのは、実は日台関係が最近期待や思いに裏打ちされている面が強いことを示している」ということだった。台湾において日本関連のソフトカルチャーが蔓延していても、マスコミや政治家の日本論、日本観は、日本語人たちが引退したいま、以前よりも硬化しやすくなっているのである。そして、危険であると感じているのは、今回日中関係が比較的問題にならず、日台関係で火がついたのは、日中関係では「過度の期待」や「思い込み」がなくなってきており、逆に日台関係のほうに「台湾でなぜこんなに…」、「まさか台湾人が…」、「教養があるはずの日本の新聞記者が…」、などといった「期待」や「思い込み」が見え隠れすることである。「期待」は時に大切だが、逆に危険でもある。

 このような他人事のような物言いは確かに悠長かもしれない。だが、たとえば台湾側が謝るかどうかは台湾側の問題で、日本が考えるべきことは、一方で日本人帰国者に10日間の自宅待機を命じておきながら、台湾からの観光客の来日は奨励し、ビザ発給段階でまったく抑制措置をとっていないというのに、そうした自らの問題を顧みない日本側の姿勢、交流協会の姿勢だといのが、筆者の問題意識である。日台関係は確かに大事だが、今回のSARSに対して、なんらガバナンスを発揮できず、日本人だけ10日待機、一方で観光業界のことを考慮して健康診断なしのビザ発行を通常とおりおこなっていたというセンシティビティのなさこそが問題なのではないだろうか。ヒトとモノが流れている時代にまったく対応できていなかったのだ。これは何も国だけではない。地方自治体とて「想定していなかった」と嘯いた。観光地京都で「SARSに感染した外国人観光客を想定していなかった」などということがあるのだろうか。NGOはどうだったろう?WHOは日本に何を言っていたのだろう?国単位の衛生建設は結構だが、現代は人やモノが目まぐるしく動く時代である。それに対応したガバナンスがなければ秩序形成は困難である。ましてSARSという、チェルノブイリよりも、金融危機よりも早く動くものにたいしては。

 他方、今回の事件は台湾側ではすでにさまざまな政治的コンテキストの中に巻き込まれてしまったようだ。周知のように、台湾外交部長らが「謝った」行為の背景には、WHO加盟問題があった。坂口厚生労働大臣の「台湾はWHOにオブザーバー参加すべき」との発言は大いに台湾側を勇気付けた。SARSに対して地域的なガバナンスがまったく機能していない現在、たしかに国際組織を機軸とした秩序形成が望まれ、そうした観点から言えば、台湾の加盟は確かに必要であった(当然中国は猛然と抗議した)。また、台湾の外交部長が謝ったということも興味深かった。台湾では、対日関係は制度上、亜東関係協会が主管である。政策決定過程では、李登輝政権下では総統府に対日関係の重点があり、陳水扁時代は微妙であったが昨今また担当幹部が決まった。いずれにしても、坂口発言のあと、そしてWHO総会の直前に台湾の医師の問題が発生したのに対して、「外交部長」が出てきて謝ったのは当然WHO加盟をにらんでのことであった。これは確かにイレギュラーであったし、媚日外交であったかもしれないが、WHOへの加盟を考えれば十分ありえる言動だったし、また「台湾の外交部長」という言葉がNHKで連呼されたのだから、メディア効果も大きかった。他方、5月18日に来年の総統選に向けて連宋が組むことが決まると、彼らは最初から「反日符号」を使うことになった。その矛先は政府の謝罪だったのである。連宋は確かに格好の攻撃対象を得たということだが、最初から反日符号をつかったことが、今後の運動範囲をせばめることになるのではないかとも考えられる。
SARSでの日本との確執における「台湾側の行為」は、既にその政治的、社会的コンテキストの中に位置づけられており、もはや日本との関係だけで処理できる状態ではないだろう。こうした意味で、それはそれとして静観していいものと考えられる。筆者は、台湾側のことよりも、上記のように観光客誘致をおもいきり進めていることじたいにそうした「招かれざる客」が来るというリスクがあったというのに、それをまったく反省せず、またそうしたことを予想していなかったというセンシティビティの欠如それじたい、つまり日本側の問題を重大だと感じている。

 他方、日本人記者については、どうしようもなかろう。彼らは個人的に社会的制裁を受けるだろうし、両社は台湾での取材活動に大きな障害をうけるだろう。朝日新聞は、おそらくT記者自身が事態を知らせる記事を書いていたが、マスコミ全体として日本は今回のことをあまり取り上げないつもりらしい(ワイドショーで一部とりあげたが、すぐに報じられなくなった)。日本のこうしたマスコミの態度、姿勢、これらはやがて評価されることになると思う。日台関係については、彼ら二人の行為・言動によって対日感情が急速に悪化したならば、それはそれとして受け止めるしかないと考えている。もちろん同じく個人のレベルで、「そういう日本人だけではない」「彼らは例外だ」というメッセージを発することはできるかもしれないが、そうしたことも、いまの台湾の政治社会状況の中では「相対化」されてしまうと考えている。つまり台湾内部の政治社会的コンテキストの中で位置づけられ、日台関係とは離れたところで価値が付与されることになりかねないのである。今回の件の「責任」は彼ら自身が背負うべきで、こちらは粛々とやっていくしかないし、また、台湾における対日認識の状況の確認などを「研究者として」やっていくしかないのだと思う。小生自身も近々台湾の日本研究に関する本を交流協会から出すが、そこでも、台湾は親日とか対日理解が深まっているとは言っても、実際はマスコミや政治家の日本論は非常に激化しやすくなっており、そうでありながら日本を知っていると思っている人間が多いため、断層は広がっているなどといった警鐘をならす。たいしたことはできないが、社会運動をおこせばいいというものでもないだろう。筆者は、台湾の日本観、日本の台湾観についてシンポを開くなどしてアカデミックに議論していくことは重要だと考えている。だが、社会運動化するには、たとえば先の民族学校問題などと比べて、いまひとつ「正義」の軸が見えないのである。
東アジアのこのような状態は、きっと欧米では報じられないし、欧米人にはわかりにくいものであろう。彼らからすれば、今回の問題は「黄禍論」と「オリエンタリズム」の格好のネタであり、そして中国のグレーな対応がまさに彼らに格好の材料を与え、アジアというフルーツバスケットの中で、日本も中国も台湾も一緒に扱われてしまうことだろう。(了)

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