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台湾総統選挙観察〔6〕(2004.3.23)

 ようやく総統府前の騒動も収まった。票の数え方への直接的な不満は、「法的に」処理されることになり、「数えなおし」という事態になったが、おそらく日本や海外のメディアで報じられているほど、台湾は熱くなってはいない。どちらかと言えば、「しらけて」いて、そして選挙に「つかれて」いる感じだろう。

 緑=民進党(読者から、緑、藍では何のことかわからないとお叱りを受けた)方面の分析では、今回の総統府前の騒ぎは、基本的に年末の立法院選挙をにらんでのものであると言う。要するに、藍=連宋=国民党・親民党が総統選挙で獲得した600万票をどのように分配するかが問題になっていて、総統府前でがんばってメディアに映ることがまさに次の選挙に向けて、その600万票の継承者が自分であることをアピールする格好の機会になっているという。この点、親民党の方が前面に出て「真面目に」反対運動を展開していた。国民党のほうは、馬英九が取締りをする側の台北市長である以上、馬は温存し(というより民主主義、反暴力の先鋒としての馬は年末にとっておく)、連戦を前面に出そうとした。20日の最初の連戦の演説は実に見事で、あれほど怒り心頭に達している彼を見たことがないが、その後は演説を促されても断るほどになってしまっている。600万票を誰が継承するのかという点で、国民党・親民党の再編が起きるのも確かに必至かもしれない。特に親民党の危機感は強い。宋楚瑜なくして、親民党の統合は無い。彼が「下台」したら、もう結集核は無くなってしまう。それをどうするのだろう。
このような、「藍」内部の地盤争いが総統府前の運動の根本にあると指摘する向きも確かにあるのだが、台湾の「投票」のあり方についての疑問を提起する声もまた各地で耳にした。それはまさに「投票会場」の問題である。台湾の場合、日本と異なり住民票と戸籍が分かれていないから、多くの場合、実家か現在住んでいる地域で投票をする。だが、その投票範囲については、まさにコミュニティにおける投票であり、狭い部屋の中で、自分が嘗て教わった小学校の先生たちが「監督」する中で、また同じ職場の人間が「監視」する中で投票することになっている。その結果、「プライバシーがあるとはいえない」状況になってしまっている。特に南部のような、コミュニティの紐帯が濃厚な空間では、こうした投票空間は大きな意味をもつ。このほか、在外投票、不在者投票ができないことも、「緑」に有利に働いているという指摘もあった。

他方、22日に花蓮に出かけたのだが、この花蓮は明々白々な「藍」の地盤である。興味深いことに、花蓮はミンナン系、客家、外省、原住民という四大族群の人口がほぼ拮抗しているところである。ここでは、実際のところ、緑は1/4から1/3の支持しか得られない。「族群動員」の限界である。だが、全体のミンナン系が台湾の人口70パーセントから80パーセントを占めているのに、緑の得票が50パーセントに過ぎないのだから、「族群」だけで台湾の選挙を見ることには限界が出てきているように思われる。周知のとおり、「南北」の差は明白であるが、このほかに「階層」の問題は見逃せない。今回の選挙を見た場合、藍は「市」で強く、緑は「県」で強いという傾向があった。これは、経済的に豊かな層が藍に、比較的貧しい層が緑に投票したことを示しているとも言える。国民党や親民党が次第に中間「階級」の支持を受け、民進党が次第に中小企業経営者だけでなく、労働者や農民に支持される傾向が顕著になっていると感じられる。
それにしても、今回の選挙は争点がやや不明確な選挙であった。投票前も、現在も未だに何かしっくりしない。陳総統の銃撃事件で最後は大騒ぎになったが、政策論争は結局十分になされなかった。だが、日本の観点から見れば、緑か藍かでは多少異なってくる。というのも、藍のほうは比較的古いタイプの対日関係、すなわち一方で「抗日」「反日」カードを維持しながらも、一部の知日派・親日派を利用して外交をおこなう形であるのに対して、緑のほうは(反日感情はあるにしても、また強烈な親日派はいるが)日米関係という機軸の上に日本を位置付けようとする。中国における唐家セン周辺と曾慶紅周辺の違いに似ている。自民党にとっては前者のほうがやりやすいかもしれないが・・・

 票の数えなおしをはじめ、まだまだ選挙は終わらない。このレポートももう少し続ける必要があるようである。〔了〕 

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