川島 真
2004年3月、科研費を得て一ヶ月間台湾に滞在し、数多くのアーカイブを訪問し、档案収集管理の担当者から数多くの話を聞くことができた。総じての印象は、(1)「数位化(デジタル化)」が一層進んできているということ、(2)国家档案法の影響が相当色濃く出てきているという印象である。特に(2)については制度的な意味で、各档案館に強い衝撃を与えた。特に、行政院下の各国家機関の档案が国家档案局に移管されるということが決まっていながら、実際には国家档案局に档案を保存する場所が無いということが問題となっているように感じられる。また「数位化」については、マイクロ作成を飛ばしておこなわれることに強い危惧観をもつ。
以下、各档案館の状況について紹介したい。
■国家档案局
今回もここを訪問したわけではないが、各地で必ずしも芳しくない評判を耳にした。上記のように国家档案法で国家档案については、この国家档案局に移管することが決まっていながら、同局に档案保管をするスペースが確保されていないために、実際には档案が各行政機関に滞留していることになる。無論、各部局の档案目録については、この国家档案局に送られているが、それもまた決して十分におこなわれているわけではない。国家档案法と国家档案局の「成り行き」もまた、やはり2004年5月20日以降に持ち込まれることになろう。
■各行政機関
かつて、各行政機関は档案を自らの保管庫に残すか、あるいは国史館や中央研究院近代史研究所档案館に移管していた。しかし、国家档案法によって国家档案局が移管先になった。ところが、国家档案局では受けいれができない。ここに問題がある。ある部局は、国家档案局に移管することをあきらめ、自らで档案の公開規定を設け、公開部分については同時に出版をするというプロジェクトを立ち上げた。そして、研究者グループがその公開部分と非公開部分を弁別し、かつ出版のための準備をするというプロジェクトが進行している。最終的な弁別の決定は役所がおこなうことになっているが、このような研究者の参与もまた档案の公開性のバラツキをうむことであろう。(因みに各部局には「数位化」するだけの経費は無く、「出版」という手段をとらざるを得ないのであろう)
このような動きは、従来以上に、一層档案の出方が複数化することを意味しているし、整理や保存のありかたの分散化を意味している。全体の整合性と統一を目指したはずの国家档案法と国家档案局の存在が逆に従来以上に混乱をもたらしたということになる。
■国史館
ある意味でもっとも大きな衝撃を受けたのは国史館である。戦後台湾の行政文書の受け皿であったわけなので、国家档案法施行後の国史館のあり方は大きな転機を向かえているといえよう。すなわち、もう行政機関から档案が来ないのである。(従来受け入れた档案を国家档案局に移管せよという圧力はかかっていないようである)
そこで、(1)総統府に直属する国史館はまず総統府の档案の受け皿となることとなった。すなわち総統府の档案は国家档案局に移管する必要が無いので、国史館に移管するというのである。(2)次に、企業や民間の档案の受け皿となることを模索している。これは当然の成り行きであろうが、そうなると市民との関わりや公開性などといった問題が生じる。国史館としては市内への引越しを検討しはじめている。
このほか、「数位化」は資源委員会档案などから順次進行している。これは五年計画でおこなわれており、いまのところ順調に進んでいる。だが、事業がこの点に集中しすぎ、それ以外の部分の档案整理・補修が追いつかないということも生じている。例えば、教育部档案の一部は破損のため公開されなくなってしまった。
■国史館台湾文献館
台湾文献館には久しぶりに行ったのだが、状況は相当変化し、また以前にこのページにも記した情報の誤謬についても明らかになった。まず台湾総督府文書の「数位化」は確かに相当に進行し手いるものの、完成したCD―ROMの利用について様々な制限が加えられていることについては周知のとおりである。この「利用」については、台湾におけるさまざまな状況の中で決せられることであろう。しかし、特に日本統治初期の文書のROMが技術的に使用できなくなってしまったことは大きな問題である。そして、その部分の文書が「数位化」の作業の中で、原型をとどめないほどに混乱した状況に置かれてしまい、「数位化」をしなおすにしてもやりようがないということが大きな問題である。この点については、新たな対策が講じられることであろう。
このほか、国史館が受領したとされる台北州、台南州の文書についても明らかになった。台北州については「鶯歌」の地方行政機関に残されていた日本統治時代の文書のことで、これは台北県文化局で公開されているとのことであった。ただ、内容的には「取るに足らない」という評価を耳にした。また台南州については、そういった文書が古本屋に出ていたものが購入されたに過ぎず、分量的にはごくわずかとのことであった。他方、台中市図書館の日本語蔵書の移管についても、手続き的な問題が発生し、実現の目処は立っていないとのことであった。
■中央研究院近代史研究所档案館
この機関は依然として「先端的」なのだが、それだけに悩みも多いように感じている。近代史研究所内部には档案館不要論まであるというから、深刻である。3月19日に、史料がデジタル化されていく中での新しい歴史学の研究方法について、日台の若手研究者が議論するワークショップが開催された。有意義な会議であったが、興味深かったのは、「数位化」の進行によって档案館の役割が変化するという議論であった。すなわち、「数位化」が進むことによって、研究者が直接档案に触れる機会が減少するだけでなく、档案を「検索」によって見つけ出そうとする傾向が強まるのだが、それだけに档案目録の作成時における内容表示、キーワード設定に重い責任がかかるため、アルバイトや歴史学の素養がない人間がこの作業過程を担当すると、研究に大きな弊害が出てしまうというのである。
この档案館も数位化を進めている。この点は先端的であると言っていいであろう。
■中国国民党党史館
国民党が選挙に敗れ、「中国」を取るとか、名前を変えるとか、様々な議論がなされているが、ちょうど選挙前に利用していたこともあって、極めて好意的な対応をされた。興味深いのは、ここの歴史展示物に孫文と蒋介石が占める部分が減少し、基本的に連戦(+連横)中心に組み変えられていたことである。
この档案館でも数位化が進んでいる。ここか国家科学委員会からの支援を受けているわけではないので、アメリカのスタンフォード大学との協力で数位化を進めている。だが、今回の敗北によって、党史館の経営はきわめて苦しくなるであろう。