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9月6日(火)

日本台湾学会のウェブサイトから創立大会の内容をダウンロード。自分の書いたものだが、自分のPCでファイルがどこにあるかわからず。日本台湾学会の創立は99年のこと。懐かしい。

電車の中で校正を終わらせ、空港から『アステイオン』の原稿をファックス。機内では、なんとネットができる。欧米路線で採用になったシステムがアジア線にも導入されている。しかし、ネットで遊んでしまい、明日に予定されている首都師範大学での講演原稿が進まず。『人民日報』を読む。反ファシスト/抗日勝利六十周年の記事が数多く掲載されている。まだ中央レヴェル。これから現場および地方におりていくのだろう。特徴は、台湾を巻き込み、国民党の抗日戦争への貢献を高く評価していること、日本への直接的な非難は押さえ気味にしているということが特徴だろう。

空港はとてもスムース。荷物を待っていると孫安石さんから電話。空港の国内線に居て、これから上海に行くという。近くに居るのに会えなくて残念。入国審査を終えて外に出るが、茅先生の派遣した学生さんがいない。30分ほど待ってやっと登場。そのまま北京大学へ。

勺園に着くと茅海建さんが待っている。勺園はとても古い。茅先生とスケジュールについて相談。タイトスケジュールである。
9月6日 夜  北京大学歴史系による晩宴
9月7日 午後 首都師範大学歴史系での講演、晩宴
9月8日 夜   唐啓華先生 北京大での講演に出席
9月9日 夜   両岸三地院生会議の晩宴
9月10日-11日 両岸三地会議
9月12日 午前 北京大学での講演
9月14日 午前 北京師範大学での講演
9月20日 午前 社会科学院近代史研究所での講演    
9月21-22日  天津南開大学での講演
といった具合である。ここに北京日本学研究センターでの講演が加わる予定。インターネットが解決しないままであるうちに、唐啓華先生が来る。昼は社会科学院近代史研究所のかたがたと痛飲して、昼寝をしていたという。彼も同じネットの問題を抱えていて、茅先生の学生に解決してもらったという。その学生を呼んでもらうが、解決せず。結局翌日9時半まで待つように言われる。

18時に待ち合わせであった。宴会は、牛大勇・歴史系主任、羅志田・歴史系教授らが来る。話題は、日本のこともあったが、国民党の抗日戦争への関与の問題、また今後の中国の情勢。改革開放後に大学にはいった「三級」が本当に党中央の幹部になるのは五年後、そうなれば中国は大きく自由化するという意見と、そうなるには五年ではすまないし、胡錦濤が一期でやめるはずもないから、十年以上はかかるという見解も。

茅先生から、両岸三地のあるセッションでコメンテーターをするように言われる。外交史のセッション。夜は、ひたすら明日の首都師範大学での講演の原稿の準備をする。

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