勺園で朝を迎える。北京の朝の空気がする。これは石炭の匂いだと昔おそわったが、石炭を使わなくなった最近でも強烈にするということは、石炭ではないのか。朝、散歩に出る。路上で包子と豆漿を買う。2元する。
午前中、インターネット問題が解決する。首都師範大学の講演原稿を提出する。昼食は勺園の食堂で済ませて、唐啓華先生と首都師範大学へ。
首都師範大学は、多くのキャンパスを持つ大規模な大学だが、国家の大学ではなく、北京市に属する。ここの歴史系は、北京においてもひとつの研究拠点となっている。『清末国民意識与参政意識研究』(湖南教育出版社、1999年)で知られる梁景和、『宋教仁与中国民主憲政』(湖南師範大学出版社、1997年)の遅雲飛らのいるところである。「民国時期的中日教科書問題」と題して報告をおこなう。観衆は学生が圧倒的に多く、30名程度。唐啓華さんが、外交史研究の課題などを説明する。いつもながら、見事なプレゼンテーションである。当方は、師範系ということもあり教科書の話からはいり、日中外交の問題点を説明していった。質疑応答は活発。最終的にはお決まりの戦争問題や歴史問題になる。
夜の宴席には歴史系の若手の教員などもたくさんやってくる。政治や社会の問題を指摘しあいながら、まさに問題点は熟知されているという印象。また、古株の教員から、改革開放初期の話が出て、故郷から上海に出て背広を買ったときの話は面白かった。82年のことだそうだが、世の中の服は紺か黒か、あるいは赤だった時代に、あえて緑の背広(今から思えば安物だが)を買ったこと。地方にある大学に戻ったが、指導教員からは特に何も言われなかったし、それどころか指導教員のほうがそういった西服には詳しかったという。彼らの上の世代は民国期を知っており、みなそういった西洋文化に触れていた、というのである。世代間の対話である。
北京師範大学の講演が水曜日の午後から午前に変わる。水曜午後は党の学習会だという。
勺園に戻ると、入り口で偶然唐亮さんや学生さんたちと出会う。