朝、5時ごろ起きたのだが、加々美先生からのメイルを受領。12月に愛知大のCOEシンポを北京でするので、報告するようにとのこと。
8時に戴君と待ち合わせて外交部に向かう。学生だということもあり、タクシーで朝陽門までいくという発想はないらしい。バスに乗って、西直門に行き、そこから地下鉄に乗って朝陽門へ。地下鉄に乗るときに先に人が乗ってから、人が降りるということはなくなっている。客層はバスよりも高収入者か。はじめ、外交部の旧舎と勘違いし、朝陽門内大街を歩いていく。南側に、回民小学を発見。建物までもが回民風である。その後、外交部の新楼に行くが、档案館の入り口が見つからない。やっと南側に行き、別の敷地にあることがわかった。外交部の南側の道路を挟んで向かいにある、外交部職員の宿舎兼福利関係の施設の入った建物の7階にあった。入り口で登記はするが、ガードは低い。7階では、手続きをする。外国人は中国の機関の紹介が必要とのことだが、今回は北京大学の紹介ということで国内扱い。目録で申請をするが、キーワード検索が大変きつめなので、キーワードをかえながら档案を探し申請する。申請代金が、一件5元もかかる。申請後、横の部屋で档案を見ることになるが、一見して、操作された文書であることがわかる。余白の部分が、原文書の汚れを反映していたり、していなかったりしている。しかし、そうであるにしても、一級の史料である。たとえば、きわめて細かい案件であっても、毛沢東や周恩来のコメントがある。「外交無小事」という言葉があるが、まさにそのとおりである。しかし、政府が大型化する55年以降、このようなかたちでやっていては、全ての問題を管轄できるわけではないから、権力構造に少なからず存在するものと思われる。複写については、きわめて面倒で、毛沢東や周恩来の批、電報、会談録がだめなうえ、申請してもそこで受け取れず、上部の批が必要だという。ほとんど、昔の国史館である。
昼食は一緒にきた北京大の学生と外交部付近の広東料理へ。多少プライベートな話をしたが、中でも面白かったのが北京大学の社団の話。北京大学における活発なサークル活動のうち、特に地方の少数民族地域などにいって小学校や中学校の教員を一ヶ月程度行う教育関係の社団の活動に耳を傾ける。きわめて面白い。また、一般的に就職について、一回「西部」に出ることで給料などが高まること、学内でも豊かでない農村から来た学生たちと都市部の学生の違いが大きな矛盾になっていることなどを聞く。
午後も継続して史料を見て、四時過ぎに北京大に戻る。夜は19時から唐啓華先生の講演。中国の国際化についての報告。きわめて興味深い報告。ハーグから国際連盟、国際連合への流れが綺麗に整理できる。北京大学歴史系の院生たちの雰囲気も少し理解する。ただ、すばらしい報告であっただけに、月曜日に報告する身としては圧力も高い。
唐先生の講演が終わったあと、茅先生と学生さん、そして唐先生と四人で酒を飲みに行く。夜を抜いていたので、ついつい羊鍋を食べ過ぎてしまう。日本や欧米は、学生の研究の「起歩」が高いからうらやましく、まずは北京大学を日本のレヴェルにまでもっていきたいという話題が出る。日本はいま厳しい時期にあり、中国研究の成果をいかに発信するのかが大切になっているというと、納得はしてもらえるが、まだ優位にあるといわれた。また、北京大、政治大、そして日本との交流を三者で活発にしていく約束をする。茅先生から、五年後にまた二人を招くからと言われる。唐先生は、ちょうど自分の本も出ているころだからと嬉々として答えるが、こちらはどうなっていることか。彼らと話していると、いつも強いプレッシャーを感じる。
また、小生の政治大学での授業について歴史系内部でひと悶着あったことをしらされる。というのも、小生を推薦したのが、今年になってできた台湾史研究所系統の先生方であったがために、小生に与えられた授業内容が台湾史的になっており、それが問題になったという。台湾史研究所との差別化によって、歴史系のほうは、中国史的にということだろうか。実際、こちらはあまり気づかずに、日中関係的に修正し、授業案を出してそのまま認められた。
台湾の大学の歴史学系はいま難しいところにいる。問題はここ数年におきた学部生の教養教育とも言える「歴史必修課」である。現政権にとっては、これこそが国民党歴史教育の「洗脳」の元凶とのことで、必須を選択性にした。確かに選択にしたほうが、台湾史も教えられるし、裁量は広がる。しかしながら、必修でないとポストがついてこない。政治大学はそのために11のポストを喪失した。この必修課問題は台湾の各大学を襲ったが、台湾大学はそのまま維持した。杜正勝教授が教育部長になり、教育の台湾化は急速に進むだろう。先には台湾史の必修化があるのではないかという向きもあるが、果たしてどうか。