前日の選挙で自民党が圧勝したことが中国にも伝えられる。小泉総理への個人的な不信感もさることながら、ある種の構造変化が日本政治におきていることは理解されているらしい。ただ、小選挙区制をはじめとする制度変革と首相権限の変容、官庁と官邸の関係の変容など、つっこんだ言論は多くない。おそらく、このあたりに鈍感な日本のマスコミの影響を中国のメディアや日本論も受けてしまっているのだと思われる。靖国参拝は近いだろう、憲法改正は大丈夫か…などといった懸念が多く紙上でも提起されている。北京大学のかたがたと話していても、みな自民党圧勝はわかっていたようであるが、中国側としてもここまで自民党が勝つとは思わなかったのではないか。もはや小泉総理の個人攻撃だけで片付けられる問題ではない。台湾に対する政策と同じ結果になるのであろうか。
朝、8時20分に図書館に行く。「孫中山与同盟会-紀念中国同盟会成立百周年」国際学術研討会が開催される。王暁秋先生が中心的存在。日本からの招聘客も多いが、横浜の孫文研究会の方々が中心。王先生と、千歳丸の件、また昨年の黄遵憲のシンポジウムに参加できなかったことをお詫びする。いま、黄遵憲の蘇州租界開設をめぐる外交について研究していると申し上げたら、先のシンポジウムで楊天石先生が同様のテーマで報告したという。大変驚き、そのときのペーパーを戴くことに。また、史料についてたずねたところ、書簡などであったという。由来を尋ねたが、王先生はご存じないとのこと。中華書局から出た『黄遵憲全集』が頭にうかぶ。内容を確認しなければならない。
10時から北京大学歴史学系で講演。「中国近代外交史研究的歴程与前景」。中国外交史研究の流れと昨今の研究動向、今後の課題などを述べる。司会者の牛大勇歴史学系主任から、外交史の範囲(国際関係論、国際政治史などとの関係)、不平等条約の「不平等性」の解釈、外交档案それじたいのもつ問題性、中国的特色のある外交史研究の可能性などが提起された。興味深い論点。逆に現代中国外交史研究との交流の可能性を認識。蔵運祜先生から、「軍閥」の外交政策への影響について。学生からは多角的な質問。講演を始めるときは聴衆が少なかったが、いつのまにか空席がなくなっている状態であった。30-40人か。一番緊張する講演の「本番」が終わる。牛先生が自著や論文をもってきてくれる。最後に茅海建先生から、中国における外交史研究をおこなううえでの、史料的、また政治的な意味での難しさについて説明。牛先生、茅先生、また会場にいらした琉球大学の林泉忠先生と昼食に。
午後、「孫中山与同盟会」の会議に。劉維開先生の「日露戦争与中国革命運動的発展」を膨張に行く。会場への途中、劉先生と陳鵬仁先生にお会いする。陳先生から日本の衆議院選挙の結果について正確な数字を尋ねられる。夕方までに台湾の新聞社に記事を送る必要があるという。パソコンを携帯していなかったので、電話して調べてお答えする。また、馬樹礼先生へのインタビューなどについて依頼する。他方、陳先生からは馬樹礼の『使日十二年』の日本語訳について、小生に一部頼めないかと言われる。一応、前向きな返答をする。
劉先生の報告は、ある意味で予想とおり。孫文はじめ革命党の活動に対する日露戦争の影響はそうとう研究しにくい。宋教仁日記などには多くの記載はあるが、一般化することはできない。また、孫文はまさに日露戦争直後に中国への立憲制度適用を否定。また、有名な西アジア経由時点でのアラビア人から聞いた話も、決して中国人や東アジア人としての同感ではない。こうしたことから、影響はないとはいえないが、大きく見積もることはできないということである。小生の議論の方向性と重なる。だが、そうなると結局は野澤豊先生や菊池貴晴先生の論点に帰っていくことになる。面白い。また、国立政治大学では、数名の先生を集めて日露戦争研究小組ができているという。参加を求められる。
この「孫中山与同盟会」の会はある意味で「政治運動」の会である。台湾の国父紀念館あたりを中心にして(そういえば久しぶりに劉碧蓉先生に会った)、世界の孫中山研究会が結集しているのである。報告の多くも学術的というよりも、顕彰の再確認に近い。しかし、香港から李金強先生がいらしていたりして、久しぶりに交流ができてよかった。李先生からは、『書生報国』(福建教育出版社、2001年)を頂戴する。清末海軍論が興味深い。
『黄遵憲全集』を買いに行く。やはり、数多くの見たことのない書簡類が含まれ、そこには蘇州租界のこともたくさん含まれている。楊天石先生はこれを使ったのだろうと思い、さっそく購入する。
夜、久しぶりにアポイントメントもなく、勺園で食事し、原稿を書く。