胡錦濤の国連での演説が報道される。中国は脅威にはならない、と平和路線を強調し、またエネルギーの協調路線を唱えた。また、アメリカとの貿易摩擦についても、減少させていく方向でブッシュと会談したということも、『人民日報』の一面で伝えられている。…ところで鳳凰電視台を見ていたら、今年は台湾の石斑魚から発がん性のある薬品が検出され、商品価値がなくなったという。10月から台湾に行く身としては残念である。
六カ国協議、厳しい中で妥協を模索しているという方向の内容の報道が連続。
親民党の宋楚瑜が上海に来ており、台商を集めて集会を開く。国民党よりも細かい議論ができたと台商の代表の発言。但し、それが実現できるかどうかも、と厳しい発言。また両岸の青年フォーラムも開かれている。ここでの主な議論は農作物、特に果物。南部は果物業が破綻しはじめており、それを国民党が救えば、民進党の地盤である南部を崩すことができると考えている模様。揺さぶりである。
午前中、だいぶ疲れていたこともあり、リフレッシュのために、北京外大の南側から頤和園まで川沿いを歩く。この河は頤和園から紫竹院にいたるものだが、以前より水量が増しているようだ。時間的には一時間強歩いた。驚いたのは、遊覧船だけではなくて、個人のものと思われるモーターボートがどんどん行き来していること。また、河と西三環路、そして海淀公園で囲まれたエリア(かつては原っぱであった)の開発が急速に進んでいることを実感した。このあたりは、軍関係の施設があったことなどもあり開発が遅れていたが、このままでは四環の向こう側の「北京の農村」も本格的に都市化することであろう。頤和園は相変わらず。だが日本人は少ない。
北京大経由でホテルに戻るが北京大学で本を買う。今回北京に来てから随分本を買ったが…、馬芸主編『天津新聞伝播史綱要』(新華出版社、2005年6月)。興味深いのは、ラジオ放送について記されていることである。天津のラジオについては空白であったので、分量は少なかったが、とても勉強になった。
国立台湾大学の政治学系から講演依頼が来ていたが、日程が12月1日に決まる。11月に東京で開かれるシンポジウムのコメントを依頼されるが、お断りする。お断りするものが増えてきた。馬樹礼大使の『使日十二年』について関係者と相談。調整する。
ある方の訃報が伝えられ、大きな衝撃を受ける。この方は、先に北京日本学研究センターのODA案件でお世話になった方で、まさに新施設の設計責任者であった。ODA案件を進める過程でさまざまなことがあったが、彼は間違いなく案件の主役の一人、コンサルタントの代表であった。その後も、彼は中国はじめ、世界中の案件を手がけていた。しかし、昨年秋、彼が部長として勤務する会社が、中米でのODAをめぐって問題をおこし、二ヶ月の指名停止処分を受けたことを記憶に新しい。彼のことであるから、きっと世界中を飛び回りながら、そういったマイナスを補おうと必死になっていたのではないか。53歳、心筋梗塞とのことであった。心からご冥福を祈りたい。