早朝、何とか原稿を仕上げて中国社会科学院近代史研究所に送る。
社会科学院近代史研究所は、ここ数年混乱の中にある。所長選挙が滞ったことは有名であるが、現在もなお混迷が続いている。また、科学院全体における近代史研究所のポジションも以前に比べて高くはない。研究員の給料も、大学教員の半分程度で、年間5万元程度であろうか。また、最近できた台湾史研究中心が、台湾研究所とは無縁であるということを、行きの社内で知った。台湾研究所は国家安全部の直属であるが、研究中心のほうは社会科学院に属する学術機関とのこと。張海鵬先生は、いまそこにいるという。「無資少女」は幹部になれないという話があるが、本当に難しいものである。
朝の9時ごろ研究所に着く。時間が30分あったので、図書館に行きカードを見る。『新民報』はそろっていた。また、『大清縉紳全書』が大量にそろっていることがわかる。外交史関係も民国期の未見の図書がいくつかある。民国期の中国外交史の本をリスト化し、文献解題などをいずれつくってみたい。9時半過ぎに報告をする部屋に向かう。30名程度か。中外関係史室の方々は全員いらっしゃっているようだ。主持人は、王建朗副所長である。王先生は、先般オーストラリアであった世界歴史学者会議での議論について、王先生の議論(1940年代あたりを「高潮」として外交史を論じる方法)と小生の議論(1910-20年代の文明国化を「高潮」とする議論)については、なんら矛盾はなく、ある種の段階論で説明できると述べられた。その通りだと思う。
テーマは「近代中国外交的連続性和非連続性:以朝貢体制論為主」。まだ結論など到底出ないが、朝貢体制について議論をぶつけてみた。実は中国では、朝鮮などが属国であったとかいうことを公的メディアで記してはいけないことになっている(学術論文はいい)。他方、昨今編集が進む『清史』では、『清史稿』にあった「属国伝」「邦交志」の別をなくし、まとめるという話もある。案の定、この方面については、「定論」がないようで、さまざまな意見が出る。ある研究員は、周辺諸国が中国を尊敬していなかった筈はないと、頑として譲らなかったが、大勢として議論の相対化はできていると思われた。
中でも、老教授である張振鵾先生の頭のやわらかさと史料への造詣の深さに舌を巻く。相当な水準である。もっと早くお話をうかがうべきであった。茅先生よれば、張先生こそがナンバー1である(ただし論文は多くない)とのことであった。昼食は、中外関係史室の方々と。旧友の王奇生さんも参加していた。
宴会終了後、外交部に向かう。複写物を受け取るためである。3700元もする。考えられないが、仕方ない。思ったよりも複写が許可されていた。複写物受領を待っている間、抗戦勝利日関連の史料を見る。解放初期から、9月2-3日にスターリンと勝利日を祝うやりとりをしていることがわかる。これでは8月15日にできないであろう。閲覧室で偶然、シンガポール大学の劉宏先生に会う。来年の8月のアンソニー・リード先生らが主催する国際会議に、小生を呼んでくださったのが劉先生である。多少情報交換をした。やはり華僑研究も政府との関係を重視する方向なのか。そのほか、またまた驚きのニュースを耳にする。ある日本人の著名な教授が、中国の大学に赴任(客員かもしれない)する話である。こういう話は、日本に居るよりも外にいたほうが多く耳にするものである。
閲覧終了後、ケンピンスキーホテルに向かう。ここはドイツ系のホテル。茅海建先生、また同じく北京大学に客員で呼ばれている岸本美緒先生と待ち合わせ。しばらく時間があったので、『那桐日記』を読み漁る。面白い。食事はドイツ料理。ビールはいいのだが、ワインは…?であった。日本の中国史研究の気風、学統、中国の研究環境のことなどについて話が出る。宴席終了後、岸本先生と勺園に戻る。