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9月22日(木)

朝、愛知大学のつくった「愛大会館」で朝食を摂る。もともと、朝食も日本式であったらしいが、次第に「現地化」したらしい。8時20分に張思さんが迎えに来てくださる。天津市档案館へ歩いて向かう。南開大学も、ここ数年景気がいい。天津も5年前に比べれば景気がいい。建設ラッシュでも有る。大きな壁を破ったような印象だ。

だが、档案館は相変わらずであった。武装警察の「防備」を受けつつ、入り口では武装警察が二重三重に検問する。内部職員でさえ、である。閲覧室にはいり、顧維鈞の史料を申請する。全部で五巻ある。顧維鈞のご遺族が贈ったものだともいうが、市の編訳局から送られたものであることがわかる。ご遺族は先に編訳局に贈ったのか。五巻のうち、三巻は意味なし。顧維鈞回憶録などの本である。残りの二巻が問題。ひとつは、電報の複写物である。おそらくはコロンビアの文書であろう。これはそこまで珍しくない。あとひとつが写真のアルバム。個人所蔵、またジュネーブにある国際連合の図書館に所蔵されているものなどがある。これは貴重。顧維鈞の最初の妻で、唐紹儀の娘である人の写真を始めてみる。写真集の写真六点の複写申請をする。一枚50元という法外な値段。申請の際の対応も旧態依然。北京市档案館に通っていたので落差に驚く。10時半に閲覧を切り上げ、愛国教育の展示を見る。解放後中国で最初の国産ラジオの写真がある。興味深い。

昼食は山西料理。刀削面を久しぶりに食べた。午後の講演は日本研究院。テーマは「中日歴史問題的“歴史性”」。学生さんが多く50人近く居たか。歴史部分は退屈そうにしていたが、多少現状に触れると顔を上げる。関心の所在がわかるようだ。いろいろな質問が出る。中には李敖が言ったことをもとに質問してくる人が居た。徐福、漢委奴国王のことなど。李氏はいま北京に居る。鳳凰電子台の番組の評判もよく、両岸の国共協力の雰囲気もあり、李氏は大いに歓迎されている。そうした影響もあるのか。

なお、南開大学では何如璋の文集を編集中である。黄遵憲の文集もまとめていたが、次が何だということだろう。このあたりは各大学の競争になっている。

帰りは電車ではなくバス。二時間半かかる。北京大学の学生が気を利かせて水と麻花を買ってきてくれる。麻花も久しぶりである。天津から北京への高速には外灯がない。南三環の趙公口に、だいたい8時前に着く。岸本美緒先生の講演には間に合わず。

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