早朝、公共政策大学院関連でトラブル。対応に追われる。
朝7時半過ぎのスカイライナーで空港に向かう。講談社の原稿を引き続き書く。機内で、やはりネットができる。快適であるが、ネット中毒になっている証拠である。
北京大学勺園に戻る。王暁秋先生から、先の黄遵憲シンポの楊天石論文が届けられている。驚いたことに、楊教授は、黄遵憲の曾孫にあたる、黄敬昌氏から家に伝わる史料を見せてもらっていた。だが、楊教授自身が認めているように、蘇州租界に関する日中の外交文書を使用しているわけはなく、課題を多く残したものである。しかし、それでも史料紹介的な価値は高い。黄遵憲がいかに租界の規定を策定したかがうかがえる史料なのである。また、王先生とは、例の外務部档案のことについても話し合う。そもそもこのプロジェクトを北京大学内部で担当していたのは赫副学長だが、その赫学長が北京外国語大学に異動になって、このプロジェクトじたいの北京大学内部の責任者がやや不明になっているという。一部には、北京大学と北京外大と第一歴史档案館でプロジェクトを進めようとする動きもあるという。このあたり継続して情報交換をすることになった。このほか、先にあげたオーストリア以外にも、ポルトガル、スペインについて整理が終わり、出版されたという。購入しなければならない。
王先生のほか、そろそろ帰るのだろうと思われているのか、何人かの方から電話やメイルをいただく。その中で、送別ではなく10月1日からの台湾滞在関連のものも。台湾大学のW先生からメイル。台湾の学界動向について。台湾に着いたら電話するように言われる。
夕食は北京日本学研究センターの徐一平先生と。金源新世紀大広場に。この西三環路の西側にできた巨大モールは、アジア一の面積を誇る。資本はシンガポール系という。5階にはレストラン街。多種多様。苗族料理を選ぶ。話題は多岐にわたる。会食後、徐先生のお宅に。奥様である北京大学の滕軍先生からお茶のおもてなしを受ける。このお宅の定番であるが、おいしいお茶と楽しい会話で10時まで居てしまった。