日時 2月21日(火)15時から17時半
場所 東京女子大学8号館6階8608室(地域文化学科教員談話室)
参加者 茂木、岡本、箱田、菰田、小野寺、小林、川島
1.事務連絡
(1) 学会などでのセッションについて
(2) 今後の報告予定者について
(3) 成果の公刊について
2.修士論文報告会
(1) 菰田将司(筑波大学大学院人文社会科学研究科)
「日清戦争後の李鴻章から見た清朝外交体制」
この報告では、日清戦争以後の李鴻章、張蔭桓らを検討することによって、李鴻章がロシアとの特別な関係によって戦争後も清朝中央にとどまったこと、李ともに張蔭桓についても近代外交官として外国からも見られていたこと、そうした張らが戊戌変法後に変法派として(外交官ではない)位置づけられたことなどから、これが諸外国からの外務部設立要求につながったのではないかとした。なお、張の位置づけなど今後の課題も示された。質疑応答・コメントでは、(1)ロシア側の李鴻章認識、(2)変法に対する政治史的理解との差異、(3)ロシア側など諸外国からの中国外交官認識、とそれへの官僚の対応、(4)この件が外務部設立に結びつくという点の論理性、(5)1895年以後の政治過程をつむぐことの重要さ、(6)清朝外交体制、近代外交官というワーディング、テーマ設定、(7)李と張の関係、(8)最近の研究との関係、(9)博士論文の構想、など多岐にわたった。
(2) 小林義之(早稲田大学修士、笹川平和財団 笹川日中友好基金事業室)
「外務省記録“支那ニ於ケル和約研究会議録”と日中間の非正式外交」
外務省の外交史料館に残された和約研究会の議事録から日中間の非正式外交について扱う。山東問題をめぐる直接交渉を、顔恵慶が坂西利八郎らを通じておこなおうとしており、その過程で和約研究会の議事録が日本側に渡り、日本側はそれをもとに原案を作成、さらに中国側から日本側への情報のリークそれじたいが問題になった。最終的に、顔から提案した直接交渉をおこなうための前提は日本側に受け入れられず、直接交渉には至らず、ワシントン会議にもちこまれることになる。 質疑応答・コメントでは、(1)坂西利八郎をめぐる研究史、本研究のオリジナリティ、(2)非正式交渉というスタイルと1910-20年代の外交の関連、(3)この時期の外交史における主たる説明との距離、(4)他の和約研究会議事録との比較検討、(5)史料のバランス、(6)顔らが批判されたという点についての程度問題、などといったことが取り上げられた。総じて詳細な実証研究であるだけに、細かい!という声が多く聞こえた。
(文責:川島真)