第9回講義 2001年6月20日
比較政治論講義ノート
テーマ:インドネシア・マレーシア・シンガポール①
■時事関係
台湾政治の状況
■ インドネシア
人口2億をこえる「大国」。1945年オランダから独立。
スカルノの20年間、スハルトの33年間の統治。⇒ハビビ・ワヒド
☆ジャワ、イスラム、軍
(1) スカルノ時代からスハルトの時代へ
インドネシア共産党と軍のバランスの上にあった権力
1965年9月30日 9・30クーデタ(9・30事件)
容共派の軍人による蜂起、それをスハルトが鎮圧
ついで蜂起軍の背後に共産党がいるとして同党を弾圧。
1968年 スハルト大統領の誕生
開発型国家への移行、東南アジア全体が経済発展志向に。
やはり所謂「軍の二重機能」に依拠した政権運営
(州知事は大統領の任命制。軍人が担当)
政党の制限、選挙介入
☆しかし、スハルトは「民主主義」であることを表現するために「選挙」を実施していった。
「ゴルカル」と呼ばれる職能団体の機能。
☆大統領選挙は必ずスハルトが再選するように(-98年)
(2)スハルト政権の政策
軍とゴルカルを基盤
しかし、開発を担う実働部隊としてのテクノクラート層の登用。
(バークレー・マフィア…カリフォルニア大学バークレー校出身の集団)
☆ 経済成長
一人当たりGDP 77ドル(1970年) ⇒ 1140ドル(96年)
大学卒業も1.6から10.5に上昇。
☆しかし一方で新たな動き ⇒ イスラム知識人協会(中間層)の成長
政権としてはとりこみ策(ここに送りこまれたのがハビビ)
一方でNGO団体の活動が盛ん
(3)スハルト支配体制の限界
1990年代に癒着などで批判をうけることに(経済成長だけではもたない
正当性、華人企業・ファミリーグループ)
1997年のアジア経済危機が引き金に。
1997年6月 1ドル=2450ルピア
8月 3050ルピア
10月 3670ルピア
12月 5120ルピア
1998年1月 10375ルピア
借金漬けの国家/物価高騰への懸念/日用雑貨買いあさり/秩序混乱
IMFへの緊急融資要請(⇒緊縮財政、ファミリー企業の清算)
スハルト大統領の自己保身、不満の爆発。
1998年5月 ゴルカル議長による退陣勧告、退陣へ
(4)ハビビ政権の誕生
副大統領がそのまま昇任
スハルト体制の巻く引き役(特に民主化と地方分権化)
政党結成の自由化など。1999年に200以上の結党。
1999年6月7日 インドネシア発の自由な選挙実施
絶対的多数不在。ジャワ・イスラム・軍による議席三分。
国民協議会でワヒド選出。(イスラムに基盤)
《お知らせ》
(1)「外交を考える学生シンポジウムin北海道」
(日本外務省、日本外交協会主催、7月10日(火)、ホテル・ライフィート札幌
要申込、事務室前掲示板)
(2)7月12日(木)午前・川島ゼミ(ゼミ生以外にも公開)
中国の対台湾政策ブレーンとの意見交換
(周志懐 中国社会科学院台湾研究所副所長、ほか二名)