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比較政治論第10回講義レジュメ

第10回講義  2001年6月27日

比較政治論講義ノート

テーマ:インドネシア・マレーシア・シンガポール②

■時事関係
 中国におけるセイフガード問題

■ マレーシア
plural society 複合社会
マレー系(マレー語・ムスリム・63%)+華人系(中国語・福建語・仏教徒など・27%)+インド系(タミル語・ヒンドゥー教・8%) ⇒ プミプトラ政策

 政党もこの「エスニック・グループ」別に構成されている。
  統一マレー人国民組織(UMNO)
  マレーシア華人協会(MCA)
  マレーシア・インド人会議(MIC)
 ⇒多極共存型政治体制(ラーマン首相)
 ⇒しかし、明確な経済格差の存在 1959年5月13日 華人とマレー人衝突
                                 ラーマン首相の退陣
  1969年~71年 非常事態宣言 
 ⇒プミプトラ政策の実施

 1981年 マハティール首相誕生
       政治的近代化(国王権限の制限、東マレーシア)
       マレー人優遇政策+近代化の正当化
       工業国への転換
       東方政策

【一 般 的 事 項】
○ 面積 32万9,735 Km2(日本の0.87倍)
○人口 2,271万人   (99年)
○言語 マレー語(公用語)、英語も広く通用
○宗教 イスラム教、仏教、ヒンドゥー教等
【基礎的経済指標】
○実質GDP(2000年,1987年価格)2,093億リンギ
○名目GNP(99年) 2,795億リンギ
○一人当たりGNP(99年) 3,238米ドル
○資源  原油、天然ガス、ゴム、パーム油、丸太
【政 治 体 制】
○政体 立憲君主制
○ 元首 サラフディン・アブドゥル・アジズ・シャー・スルタン国王
       (99年4月即位)
○議会 (二院制)、上院:69議席、 任期3年
 下院:193議席、任期5年、99年11月総選挙実施
 与党:国民戦線(BN)148(うち新統一マレ?国民組織(UMNO)72)
 野党:オルタナティブ戦線(BA)45 (汎マレーシア回教党(PAS)27)
○内閣(主要閣僚) 99年12月第6次マハティ?ル内閣発足
○ 首相 マハティール・モハマド
 副首相兼内務相アブドゥラ・バダウィ
【WTO加盟状況】95年1月1日
【政情・経済動向】
○政情  57年の独立以来政権交代については最大政党である統一マレー国民組織
    (UMNO)の中で行われてきた。ク?デタ?や軍の干渉は行われたことはない。
     81年、マハティール氏が首相に就任。
     92年、政府はスルタンの免責特権廃止を決定した。
     95年4月に下院総選挙実施。与党連合・国民戦線(BN)が162議席を獲得し
          圧勝した。
     98年9月、アンワル副首相兼蔵相解任(UMNOから除名)。
     99年11月11日、国会(下院・定数193)解散、29日、総選挙実施。与党BN
          は憲法改正 が可能な3分の2以上の議席を確保。
○経済動向
     91年2月、マハティール首相が、2020年までに先進国入りを目指すとした
          「ビジョン2020」を発表。その後も新開発政策(NDP、91-2000)、
           第7次5ヵ年計画(96-2000)、第2次工業化マスタープラン(IMP2、
           96-2000)など、より具体的な政策を次々と打ち出す。
     95年8月、マハティール首相が、マルチメディアを活用した都市開発を行なう
           とした「マルチメディア・スーパー・コリドー(MSC)」計画を発
           表する。
     96年には実質GDP成長率10.0%を達成し、87年?96年までの過去10年間、
           平均で8.5%の高成長を遂げる。
     97年7月のアジア通貨・経済危機以降、マレーシアの通貨、株価ともに下落。
           政府は、同年10月の98年予算や12月の包括的経済対策の中で、
           緊縮型政策を導入する。
     98年1月、通貨危機による経済の落ち込みを打開するため首相を議長とする国
           家経済行動評議会(NEAC)を設置、経済再建に取り組む。
     98年第1四半期の実質GDP成長率が13年ぶりのマイナス成長(▲1.6%)を
           記録後、財政出動・金融緩和の景気刺激策に転換。更に同年9月、
           外為取引規制強化策、固定相場制を導入する。送金課税制など一
           部規制緩和がなされているものの、現在も同規制は続いている。
     2000年3月、マハティール首相は、これまでの労働集約型から知識集約型経済
           への経済構造の転換をめざす「K‐エコノミー(知識集約型経済)」
           構想を発表する。

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