2002年第2回講義資料
2002.4.12.川島 真
shin@juris.hokudai.ac.jp
アジア政治論
0.はじめに
質問表への返答の確認。メイルアドレス。
時事関係
1.イスラムの世界
イスラーム世界の広がり
「イスラームの家」「戦争の家」
ジハード(聖戦)
「コーランか剣か」「コーランか貢納か剣か」
イスラーム的寛容
2.イスラーム世界の「国際秩序」
基本的に国家は想定されない(じっさいの国家群と「イスラムの家」の間)
「戦争の家」「イスラムの家」の間のジハードに関するとりきめ
しかし、実際には「シャ-ル」の発達(平時国際法的)
⇒ スルフ(和平)の時期
ムスタミン(とズィンミー) ⇒ 安全保障と特典:キャピチュレーションへ
⇒ ある意味で属人的な考え方
3.現実の世界
複数のカリフの時代(ファーティマ朝、アッバース朝、後ウマイヤ朝)
1258年アッバース朝の完全消滅
諸ダウラの存続( ⇒ しかしこれらはあくまでもde factoな存在)
15世紀前後のイスラーム世界の拡大
Age of Commerce (by Anthony Reid)
ハプスブルグ家とフランス ⇒ フランスのオスマンへの接近
4.オスマン帝国の対西欧「外交」
恩典としての常駐使節(ヴェネツィアに与えられた「特典」)
使節の資格をえれば「アマン」が与えられる(但し、オスマンの朝服をまとい、スルタンの服の裾に接吻する)
条約=アフドナーメ
つまりジハードの一時的な停戦のための契約として位置付けられた。
文書は対等ではなく、あくまでも上から下。
5.ウェストファリア条約以後
1683年第二次ウィーン包囲失敗 ⇒ 1699年カルロビッツ条約(ハンガリー喪失)
18世紀末には各イスラーム世界が次第に西欧に包摂される。
西欧から見て、オスマンの秩序は単なる異質な秩序に転落。
(キャピチュレーションの特権化)
1789年 セリム三世(西洋化に着手)
常駐大使制度(ロンドン・パリ・ウィーン・ベルリン・ぺテルスブルグ)
1856年 パリ会議への参加
1839年 ギュルハネの勅令(オスマン臣民)
おわりに
ナショナリズム、国民国家、イスラム主義、原理主義、イスラム近代主義
【参考文献】
鈴木 董「イスラム国際体系」(有賀貞ほか編『講座国際政治』東京大学出版会、1989年)
同『オスマン帝国の権力とエリート』(東京大学出版会、1993年)