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アジア政治論第3回講義レジュメ

2002年第3回講義資料
                              2002.4.19.川島 真
shin@juris.hokudai.ac.jp

アジア政治論

0.はじめに
質問表への返答の確認。メイルアドレス。
  時事関係(⇒資料参考)
  エッセイ(⇒資料参考)  

1.ムガールの世界
視点:オスマントルコ・中国との違い
    ⇒ 但し、昨今の研究動向(サバルタンスタディーズ)
ムスリム系のモンゴル王朝
基本的にムスリム・ヒンドゥー共存型の王朝(~17世紀)
アウラングゼーブ王による非寛容政策
帝国の解体 ⇒ ラージプートの時代に
 しかし、アウラングゼーブに抵抗したアクバルの寛容政策は継承される。
 (ムスリムに対してはカーディを通じたイスラーム法の適用を認めるなど)
  カルナ-ルの闘い
  帝国の権威を認めて、税を送らないというかたちに。

2.イギリスによる宗主権の獲得
ポルトガルからオランダ、そしてイギリスへ。
点と線 ⇒ 面へ
 イギリスはカルカッタ・マドラス・ボンベイに拠点建設
 (しかし、プレーヤーの1人)
 18世紀中、3度にわたるカーナティック戦争
 1757年 プラッシーの戦い
      ⇒ ディーワーニー(財政大臣)*ベンガル、ビハ-ル、オリッサ
 1765年 イギリス人 クライブとムガール皇帝が条約締結
 1798年 マイソール戦争の結果としてマイソール王国を軍事保護条約で保護国化
 18世紀後半~ 2度にわたるマラータ戦争
       これによってマラータ同盟地域が保護国化、あるいはイギリス直轄領に
  19世紀中 シーク戦争
        パンジャーブ地方を直轄領に
    1858年 東インド会社はその役割をおえて、インドがイギリスの直轄植民地に
 
おわりに
  インド、インド史、植民地化、保護国(藩王国)、…

【参考文献】
佐藤正哲ほか編『ムガル帝国から英領インドへ』(中央公論社、1998年)
粟屋利江『イギリス支配とインド社会』(山川出版社、1998年)
中里成章「インド植民地化問題・再考」(『アジアとヨーロッパ』〔岩波講座 世界歴史〕23、
     岩波書店、1999年)

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