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アジア政治論・質疑応答(2)

アジア政治論・質疑応答(2)

●進め方
(1)パレスチナ問題に授業でふれるか(3年女子)
時事問題として触れようと思います。

●文字句の質問
(1)de factoとは?(3年女子)
⇒実際には、事実上は、ということ。de jure法的には、 の反対語。

●内容について質問
(1)family of nationsに非西洋諸国は入りたかったのか。(4年男子)
⇒入りたかったわけではなく、入らざるを得なかった。軍事的なパワーを背景として不平
等条約を締結されてしまった結果、自国の安定と発展を考えれば、そこに入る必要が生じた。
西洋諸国の方から見れば、アジア諸国などをこの「サロン」に入れるか否かで当然議論は割
れたと思うけれども、安定した市場の拡大という観点から考えれば、条件を厳しくしながら
もメンバーを増やしていくという了解があったと思われる。しかし、ウィルソン主義はこうし
た発想よりも、主権国家間の平等主義をより強く推し進めた。
(2)「コーランか剣か」「コーランか貢納か剣か」について再説明が欲しい。(3年女子)
 「コーランか剣か」。これはこれまで一般に言われていたイスラムの異教徒に対する態度。
  つまり、改宗を迫り、納得しないなら戦争をする、というもの。それに対して、「貢納」
  が入るということは、「イスラームの家」内部の異教徒は、貢納することによって、安
  全とそのほかの自由が確保されるということ。つまり、ムスリムと平等ではないにし
  ても、異教徒が生存することができるのが「イスラームの家」であり、そこには多様
  性が十分に確保されていたということ。
(3)「ギュルハネの勅令」について再説明。(3年男子)
  オスマントルコが西洋化を進めるなかで、イスラームの家におけるムスリムと異教徒
  という属人的な二元論をあらため、国民をオスマントルコ臣民と見なそうとした勅令。
(4)ムスリムは現在のイスラエルを「イスラームの家」の中の地域と見なしているのか。
 (文3年女子)
 イスラームの家は地域概念ではないので、当然異教徒(但し啓典の民)のいるところと
 見なしているはず。
(5)16世紀頃、イスラム内部で平等な関係がつくられていれば…
 (文3年女子、4年男子、4年女子、4年男子、修士3年男子)
 イスラームの家を一つのものと想定した場合、イスラームはその内部の国家および国家
 関係についてルールづくりを構想しにくくなります。ここに、西欧で生まれた平等な国
 家間関係に対置される概念が形成されにくかったひとつの原因があるのではないかとい
 うことです。また、こうであるからこそ、イスラーム内部の諸関係もある意味ではパワ
 ーポリティクスで解決していくことになります。だからこそ、結局のところ、国力がも
 のを言い、サウジアラビアとエジプトといったあたりが有力になります。現在のアラブ 
 諸国を見て、イスラーム世界で共通の政治理念を確立できるのかという問題があります。
 イスラームに民主主義を適用することはそれほど難しいことではありません。ただ、そ
 れが西欧と同じ結果を招来するかどうかは別問題です。
(5)イスラムに対置される「西欧」なるものがあるのか(文研究生)
 これを言い出すと、イスラムもアジアも壊れます。The Westとして総称される価値の束
 はあると思います。
(6)フランスとオスマンの接近のところについて再説明。(3年男子)
 高校世界史の範囲なので早口になったかもしれません。要するにハプスブルグ家が神聖
 ローマ帝国とスペインの国王を兼ねていて、間にはさまれたフランスのフランソワ1世
 がオスマントルコに接近したということです。
(7)国民国家・近代国家が誕生するのに宗教性の支配を崩さなくてはいけないのか。
 (3年女子)
 これは近代国家論を考える上で実に重要な問題。宗教性を払拭する必要はないけれど、
 政教分離は必要ですね。別に宗教が政治の下位に置かれる必要はないけれど、政治と宗
 教が制度的、財政的に結びつくと、それは宗教国家になります。山之内靖『マックス・
 ウェーバー』なんていい参考書かもしれません。
(8)結局どのような国家が望ましいかはパワーポリティクスで決まるのでは。(3年女子)
 確かにそうした面がありますね。次の授業で、この質問に関わる藤原帰一・東大教授の
 エッセイを配布します。
(9)近代化してネイションの資格を得ようとしたのは?(3年女子)
 シャム・日本が資格獲得を達成しました。努力という面で言えば、中国、トルコ、ペル
 シャも努力しました。ただ、一方で旧政権を「革命」によって打倒して、旧政権の結ん
 だ不平等条約を一掃する方法があります。これがトルコが最終的に採用した手段でした。
(10)レコンキスタや十字軍は(4年男子)
 確かに今回これに触れませんでした。これはイスラーム地域の拡大期における欧州側の
 リアクションと見るべきなのではないかと思います。
(11)日本の鎖国は本当に日本が強かったから?(4年女子)
 少なくとも「西欧が存在に気づかなかった」ということはありません。当時は、イギリ
 ス・オランダ・スペイン・ポルトガルなど各国の船が日本に出入りしていましたから。
 西欧側の原因があるとすれば、ちょうど欧州における覇権がイベリア半島から次第にオ
 ランダに移っている時期であったということがあります。
(12)オスマンと周辺諸国の関係の上下関係(M3男子)
 文書上の上下もありました。ビザンチンから継承した部分もあったと思います。岩波新 
 書に『中世ローマ帝国』だったか参考書があったと思います。
(13)18世紀末からの変化について、それはヨーロッパ側が原因か、それともアジアか。
 (M3男子)
 ずるいようですが両方ですね。Anthony ReidのThe Age of Commerceという本にその
 あたりの背景が書いてあります。

 

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