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第5回アジア政治論質問・回答

第5回アジア政治論質問・回答
川島 真

◆【授業の方法について】

質問に対する回答も大事であろうが、その解説が長すぎるので本題に入って欲しい。
またこの授業は予習ができなくて辛い。事前に次回のプリントを配布してもらえれば、問題意識をもって授業に参加することができるのだが。(学部3年) 

⇒この点については、質問に応える中で前回の授業の復習をしたり、また関心の高そうなテーマを拾っているつもりです。「法学」の諸科目と異なり、これとこれをやらなくてはならないという性格でないため、進度に対してルーズになっている面がありました。今後注意するようにします。具体的には、授業と関係の無い質問などに対する解説は、授業の最後に10分程度時間をとって話すようにしましょう。そして復習に相当する部分は冒頭に簡単に話したいと思います。また、予習については想定していませんでした。アジア政治論という教科書の無い科目で「予習」…ということには面食らったのですが、おっしゃられることも確かですので、次回からその次の授業の内容などについて予告するようなプリントなり、文章なりを出すようにしたいと思います。

◆【第四回目の授業内容】
1. 文化大革命について

文革期に近代化はあまり言われなかったということでしたが、そもそも文革とはたえず自己変革をおこなわざるをえないと考える「近代」の思想から来たのではないでしょうか。たとえば、西洋のアヴァンギャルド芸術など、もちろん性格にかなり差はあるでしょうけれども、根本思想としては似たような面があったのではないでしょうか。また、文革期の中国にはたいへん興味興味があるのでできるだけ講義でとりあげるかせめて参考文献を教えて欲しい。(M1院生)
⇒まずは参考文献から。手ごろなものに、
 厳家祺・高皋 『文化大革命十年史』 上・中・下 (岩波現代文庫, 2002年)
 矢吹晋『文化大革命』(講談社現代新書、1989年)
 矢吹先生の過激なHP ⇒ http://www2.big.or.jp/~yabuki/index.html
 などがありますが、北海道大学の教員が書いたとても面白い著作に
 武田雅哉『よいこの文化大革命』(廣済堂出版、2003年)
 があります。次に「近代」の問題です。確かに、思想的な系譜で言えば、文革に「近代」の自己変革に関わる思想的背景があったことと思います。また「宣伝と動員」という文革がともなった政治的手法も極めて20世紀的なものであり、そうした意味では「現代」の産物でした。しかし、文革が否定したものに「近代性」「文明性」があります。法律の分野でも近代法が破棄され、弁護士、検察官、裁判官が批判の対象となりました。こうした点で「近代性」が批判されたと述べました。

2. 尾崎孝宏・鹿児島大学助教授の「モンゴル特別講義」への質問

 
 人口が違うとはいえ、ウランバートルに二人に一人が住んでいるとして彼等はなにをして生計をたてているのですか?社会主義国のままなのでしょうか。また、社会保障はどのようになっておりのでしょう。下水道、トイレなど、水が大量に必要になると思いますが…

⇒もちろん、現在のモンゴル国は社会主義のままではないですから、国家なり地方政府なりがが仕事を割り当てるというようなことはありません。むろん現在も官僚や教師、警察官といった公務員は存在しますが、それ以外の人たちは民間企業に勤めるとか、自営で生計を立てています。社会主義崩壊の余波で失業者も多く、1990年代末頃は一説には失業率30%などと言われていた時代もありました。ただ、モンゴルの統計上の失業者の中には時々中国国境などへ行って物資を仕入れ(ある程度の資本があれば日本の中古車が人気です。ウランバートルには根室の学習塾が所有していたワンボックス車がそのままの塗装で走っていたりします)、それを転売して利益を上げたりする人々もいますから、失業者といっても日本でイメージする「無収入」状態とはやや異なります。
   なお、ウランバートルのインフラは基本的に社会主義時代に整備されたものです。現在ウランバートルにある建築物のうち、中心部にある建物はシベリア抑留の日本人が作ったものですし、周辺部のアパートなどはほとんど全て旧ソ連の援助によるものです。ただし一部の建物は中国が中ソ蜜月時代に作ったものでして、ウランバートル唯一の百貨店は北京の王府井にある第一百貨商場と建物の構造が瓜二つだったりします。ちなみに日本は1990年代以降、こうしたインフラの改善にかなりの援助をしていますが、旧ソ連製のインフラのメンテナンスは新築に匹敵する費用がかかるという話を聞いたことがあります。また社会主義時代には、ある程度地方からウランバートルへの人口移動を誘導し、牧畜から軽工業部門などに労働力をシフトさせようとしていたこともあり、しかもソ連(当時)がウランバートルの都市建設を大々的にサポートしていたこともあったので、別に首都への人口集中が問題視されることはありませんでした。そもそも、その当時は自由な転居も認められていませんでしたので。ただし、当時より流入人口に対し住宅供給が追いつかなかったため、街の周縁部にはゲル集落が形成されていました。これは移動住居であるゲルを板塀で囲った敷地内に建て、定住的に利用するものです。ただし、もちろん戸別の水道や下水道はありません。都市ガスはそもそもウランバートルにはどこにも存在しないので問題にはなりません。電気や電話は引いている世帯もあります。ですが、セントラルヒーティングが整備されている中心部のアパートとは異なり、冬は零下30度以下にもなる外気にさらされ、また上下水道の設備が存在しないゲル集落は都市的空間として劣悪な住環境にあることは否定できません。
   ところで、ウランバートルは社会主義崩壊時に60万人程度だった人口が現在は100万人に膨張しています。そして、彼らの多くは上に述べたようなゲル集落に流入してきていますので、結果としてゲル集落の膨張という現象が起きています。一般に、人の移住が発生する際には「プッシュ要因=人を押し出す要因」と「プル要因=人をひきつける要因」が存在すると言われています。ウランバートルのゲル集落は決して快適な住宅地ではありません。それでも人々がここへ来るのは、プル要因としては「ウランバートルに行けば何とかなるだろう」という心理と、プッシュ要因としては「地方では牧民くらいしか仕事はないが、その家畜を天災などで失ってしまい、必要最低限のレベルを下回ると牧民としては立ち行かなくなる」という社会的現実があります。要するに、「家畜を失ったから地方で自立した牧民はできなくなったが、首都に行けばまあ何とかなるだろう」という人々が首都に向かってきているのです。ちなみに家畜は1990年代前半、社会主義崩壊時に地方在住者に対して広く分配されました。ただ牧畜はハイリスク・ハイリターンでして、家畜を増やした人々は既に「千頭所有者(モンゴル牧民社会における富裕者の代名詞)」ですし、減らした人々は既に一文無し同然となっています。
  しかし、何故ウランバートルなら生きていけそうに思えるのでしょうか。現在は、当然ながらもう旧ソ連の援助はありません。しかし、その代わりに日米・EUや韓国などの援助が官民問わず存在します。さらにこうした地域で出稼ぎをしている在外モンゴル人からの送金があります(ちなみに仕送り経済はフィリピンあたりでも顕著です)。こうした資金の窓口が首都ウランバートルであるわけです。さらに、社会主義崩壊以後、首都と地方とのコミュニケーションは希薄化し、地方へ資金が再配分されるシステムが機能不全に陥っているので、多くの資金はウランバートルに留まっています。また物価についても、モンゴル国で消費される多くの物資が輸入品であるため、ウランバートルは相対的に日用品などの物価が低く(それでも北京の2倍ですが)、生活しやすいという実態があります。正直なところ、ウランバートルにはこうした資金で潤っているバブリーな人々がいますし、中高級の飲食店もそういう人々で賑わっています。ですが、いかんせんインフラの不備は覆いがたいものがあります。特に下水やゴミの処理は飽和状態で、ほとんど未処理の汚物が垂れ流しの状態になっており、焦眉の問題とされております。またウランバートルは盆地なので大気汚染もひどく、冬の大気は蘭州・瀋陽並みとまでは言いませんが、相当ひどいものです(何せ街を走っている車は日本やドイツでは廃車処分になっているような代物が多いですし、ゲル集落で燃やしている石炭も決して良質なものではないですから)。なお、ウランバートルは地下水には恵まれており、水道水は地下水でまかなわれていて水質も良好であるといわれています。
  しかし実は驚くべき事実は、これだけ失業者が多く、しかも統計上の平均収入が少なく、冬季は厳寒のモンゴルにおいて、貧困に由来する死者がほとんどいないという点です。恐らく、ウオッカに酔っ払って凍死する人数より少ないでしょう。もとよりモンゴルでは、経済的にはインフォーマルセクタが発達しているが故に統計の信憑性が低いという点も否定しがたいですが、それと同時に、困っている人間は当面困っていない人間に頼るのが当然であり、また依存される側もそれを拒否できないという文化的規範の存在も無視できません。こうした助け合いの精神が、「彼等はなにをして生計をたてているのですか?」という問いの究極的な回答であるようにも思います。(尾崎孝宏・鹿児島大学助教授による)

◆【第五回の授業内容】

1. 韓国や台湾の兵役

兵役に行かなかった男性が結婚などで不利益をも被るということだが、そのようなことは分かるのだろうか。スポーツで活躍した人も兵役免除だと聞いたが、ほかに免除される方法はあるのだろうか。(3年男子)

 ⇒2002年6月にサッカー・ワールドカップ(W杯)で韓国が決勝トーナメント進出を決めたことを受け、韓国政府がW杯代表選手23人のうち、兵役を受けていない10人の兵役を免除することを決めたということがありました。また孤児や中学退学者が兵役を免除されています。結婚云々は台湾の事例でした。兵役に行かなかった人はだいたいわかります。情報公開でというよりも、「近所」とか「関係」の中で噂になってしまうということですね。

2. 韓国の反日・抗日

なぜここ5年の間に韓国の反日・抗日感情が無くなったのだろうか。それが解明できたら中国の反日・抗日感情の緩和に結び付けられるのでは?ワールドカップ前後の新聞記事ではまだ韓国の反日・抗日感情が強いように感じられたが…(学部3年)

 ⇒そうですね。ワールドカップ以前の「反日」は大統領の任期終了前に支持率がさがったことを受けて生じたものだと思っています。総じて見れば韓国は、強烈なナショナリズムと自意識を維持しながら、社会における価値が多様化し、相対化が進むことで、日本へのイメージも修正が迫られてきています。それは「日本」という符号に関する「統制」の解除、解放ということでもあります。抗日から親日に突然変じたら、それもまた奇異なことです。嫌日、親日ということもありますが、日本への批判的視線を前提としつつ、互いに信頼しながら諸問題を解決できるような磁場ができていくことが肝要です。他方、こうした変化が生じた背景については、経済発展と民主化ということが「日本」論にも変容をもたらしたと思われますが、これは果たして中国に期待できるでしょうか。最近、中国で『戦略と管理』という雑誌に対日宥和論とでも言うべき論文が掲載されて話題になっています。これがどうなるか。この点は小生のHPをご参照下さい。

3. 台湾の「文明化」

  
日本の植民地統治が台湾に「文明」をもたらせたとプラスに評価する向きもあるということであったが、それ以前の台湾はどのような状況であったのか。(学部3年)
⇒1885年に清朝が台湾省を設置し、劉銘傳という人が鉄道建設など積極的に近代化政策を展開していました。しかし、これは洋務運動の台湾版とでも言うべきもので、社会生活全般を含んだ「文明化」とは異なるものであったと考えられます。岩波新書、中公新書などの『台湾』を御覧下さい。

4.市場経済

  改革開放後の市場経済の導入について、戦前期、そして戦後の文革期に発展が阻害された資本主義をまず推進し、それから高次の社会主義、ひいては共産主義に漸次発展させていくということ、つまり市場経済の導入は共産主義建設の素地である(社会主義的初期段階)という解釈があります。この解釈は本当に妥当なのでしょうか、またこのような解釈はどのように位置付けることが可能でしょうか。(学部四年)

⇒社会主義初級段階論ですね。これは1987年の13全大会で趙紫陽総書記によって打ち出されたもので、「中国の社会主義はまだ初級段階にあり、現状では生産力の発展が不十分で、高度な生産力に裏づけられた本来の社会主義の姿とは異なっており、また社会主義現代化が実現するには100年はかかるので、今は資本主義がやり残した課題をやり遂げる」といった考え方です。ここで根拠となったのは、10億の人口と7億の農村人口、遅れた工業水準、広範な貧困地区の存在、文盲人口の多さ、商品経済と国内市場の未発達、経済的文化的条件の欠如などでした。鄧小平の「白猫黒猫論」(白い猫でも黒い猫でもネズミをとる猫が良い猫だ)に見られる生産力重視の考え方がこの背景にはありました。この社会主義初級段階論は、97年9月の15全大会においても再提起され、市場経済への方向転換の基本認識となっています。これは「生産力重視」論です。また、これは49年から77年の社会主義建設を否定したものとなっており、過渡期の総路線以前に戻ったとも考えられるでしょう。果たしてこれが妥当性をもつのかどうかということですが、社会主義建設、共産主義建設が共産党政権のテーゼであり、否定できないものであるとすれば、この初級段階論は「豊かさ」を保証するために必要な政策であったと考えられます。この政策は、政治史的には毛沢東がおこなってきた社会主義建設を基本的に否定し、資本主義建設を「生産力重視」という言葉の下に、共産党主導で、民主化をともなわずにおこなうということを示します。だからこそ、社会主義・共産主義へ向かうことが既定路線で、共産党がそれを指導するということが正当化できるのです。

【そのほか】
1. 自治区の独立問題

 
中国の各自治区が独立する可能性はどれくらいあるのですか。ウイグル自治区などを除いて旧ソ連の「自治区」(自治共和国?川島注)ほどの不満を抱いていないと思うが、今の共産党体制下で各少数民族の不満はどの程度なのか。またアメリカなど中国の大国化を潜在的な脅威と見る国々が、中国の自治区の独立を国際問題化したり、ひそかに支援したりする可能性もあると思うのですが。(学部四年)
 ⇒ これは難しく、かつデリケートな問題ですね。自治区の独立は具体的には極めて困難ですし、またそうした運動もそこまでは顕在化していないというのが実状であると思います。また、ウイグルやチベットをのぞいて、たとえば内モンゴル自治区などでも少数民族の人口が漢族のそれを大きく下回っている例も多く見られます。しかし、だからといって少数民族が不満を持っていないというわけではなく、漢族に対する差別構造に苦しんでいる状態です。体制側は、各少数民族にさまざまな優遇措置を講じ、各文化を尊重していると述べています。中国共産党の民族政策については、松本ますみ『中国民族政策の研究 : 清末から1945年までの民族論を中心に』(多賀出版、1999年)、毛里和子『周縁からの中国 民族問題と国家』(東京大学出版会、1998年)などが参考になります。ウイグルについては、これはニューヨーク居住の中国人ジャーナリスト曹長青氏が、1999年10月11日から17日にかけて、台湾の『台北時報』に 連載した新疆(東トルキスタン)地域における新疆地域独立運動に関する分析記事http://www.eva.hi-ho.ne.jp/y-kanatani/ET/FfET.htmなどの過激なものから、王柯『 東トルキスタン共和国研究-中国のイスラムと民族問題』(東京大学出版会、1995年)などの歴史的な著作もあります。他方、国際社会からの影響は当然あります。たとえばダライラマに対するノーベル平和賞などはその一つの圧力でしょう。ダライラマ法王日本代表部HPhttp://www.tibethouse.jpなどを見ると、チベットの国旗・国歌などが記されています。しかし、一方でアフガニスタン、今回のイラクにおいてアメリカは中国の協力を必要とし、以前のように人権を問題にせず、むしろウイグルの活動をテロ指定するなどの協力姿勢になってきています。このあたり、まだまだ未知数と思います。いずれにしても、「独立」は考えにくいというのが実状です。
 (書きにくい話もたくさんありますがそれは別の機会に。)

2.北朝鮮問題
 

 新聞で、北朝鮮が核保有を加速する姿勢を強調すると、中国からの重油のパイプラインの供給が突然止まったという記事を読みました。中国側は、「不具合」と発表していますが、北朝鮮から東アジアに核保有が広がることを恐れる中国にとって今回の措置は当然だと思います。中国にとって北朝鮮は最早御荷物であり、切り捨てようとしているのでしょうか。それとも北朝鮮との国境沿いに朝鮮族自治区を抱えており、朝鮮統一後の朝鮮自治区返還要求を恐れるので、北朝鮮を緩衝地帯として残しておきたいのでしょうか。またそうなった場合、竹島問題を韓国との間に抱えている日本と中国は利害が一致して、左右から大国が小国を挟み込むように苛めるという構図になるのでしょうか。(学部4年)

  ⇒予備知識として中華人民共和国外交部HPの北朝鮮の項目を見てください。北朝鮮との基本的なやりとりを記しています。http://www.fmprc.gov.cn/chn/c50.html 中国にとって北朝鮮は「伝統友好国」という位置付けです。経済援助としては、2001年から20万トンの糧食と3万トンの柴油=軽油の無償援助があり、また特別な活動に「中朝友好合作相互条約」締結40周年記念活動が2001年の7月に展開されました。政府首脳間の交流は日中間よりも盛んです。また北朝鮮は、中国の改革開放政策を採用している数少ない外国でもあります。しかし、北朝鮮がパートナー国ではなく、「伝統友好国」に止まっているということにも留意する必要があります。これまでの歴史の中で、中ソ対立のたびにソ連よりの北朝鮮と対立し、時には独自路線を採用する北朝鮮が中国の改革開放政策を批判したこともありました。両国は難しい関係なわけです。さて、国際政治的な側面、特に核をめぐる戦略的な状況から見れば、五大国の一つである中国は「核不拡散条約」の支持者であって多くの国が核をもつことに反対してきたわけです(インドとの対抗関係で核保有を支持したパキスタンなどの例は除く)。そうした意味では、北朝鮮が核保有国となることに反対ですし、東アジアの安全保障地図から考えても中国の立場が変わるような北の核保有には反対なわけです。他方、朝鮮半島問題をめぐる中国のスタンスを見ると、中国としては完全にアメリカ主導でこの問題が解決されることには懸念を示しています。米軍基地が長白山の麓に来ることを中国は歓迎しません。そうした意味では、北朝鮮に対する影響力を維持し、バーゲニング・パワーを挙げて行く必要があり、決定的な「けんか」はできないのです。「核保有は許せないが、正面から喧嘩ができない状態」にあるのではないでしょうか。また半島統一後、朝鮮自治区が返還要求される、とまではいっていないように思います。北はそこまで中国に求めていませんし、統一後も、そこまで無理な要求はしないものと思います。

3.趙紫陽

先日新聞で「趙紫陽死去」のニュースが流れ、翌日には「一時死亡説」と死亡を否定するような記事が流れた。彼の死に関するこのような報道は如何なる意味をもつのか。また死亡の真偽は?そして趙に関する文献、中国国内での評価について教えて欲しい。(学部3年、4年)
⇒今回は共同通信の配信ミスのようですね。しかし、5月1日現在中国政府も死亡の真偽を明示していません。
 趙紫陽は元共産党総書記で河南省滑県出身、1938年入党。65年広東省党委第一書記。文化大革命では「陶鋳の走狗」と批判され失脚。71年に内蒙古自治区委員会書記として復活ののち、74年広東省第一書記。75年から80年まで四川省第一書記として経済改革に取り組み、農業請負制と企業自主権の拡大で実績をあげ、「四川の経験」と評価された。80年4月副総理として中央入り。同年9月華国鋒に代わって総理就任。82年9月の12全大会で政治局常務委員。鄧小平の支持を得て胡耀邦総書記とともに改革開放に取り組んだ。87年1月、民主化運動への対応を批判されて解任された胡耀邦総書記のを引き継いで、総書記代理を経て党総書記となり、13全大会で社会主義初級段階論を提起、沿海地区発展戦略を提起し、市場経済化を加速させました。しかし、 89年6月に起きた天安門事件で民主化を要求する学生に同情的な姿勢を示したため、総書記を解任され失脚。このあと江沢民が総書記となりました。趙紫陽は、いまだ名誉回復していません。趙の名誉回復は天安門事件の再評価とからむだけに微妙な問題となっています。今回の死亡説は、周恩来の死と第一次天安門事件、胡耀邦の死と第二次天安門事件が絡んだことを意識しての「噂」ではないかというのが有力説です。しかし、いまは趙紫陽伝説もそこまでの力が無く、この「噂」には実際の力は無いものと思います。趙紫陽については、趙蔚著・玉華訳『趙紫陽の夢みた中国』(徳間書店、1989年)があります。

4.日本の大学

日本の大学、社会にはアジアの大学に比べて学生を堕落させる何かがあるのか。(修士学生)

⇒どうなんでしょうね。確かに、日本社会、日本の大学には「覇気」はないし、「不満」が渦巻いています。教官は学生のやる気がないとか、くらいついてこないとか、予備知識が無いとか言い、学生は教官に熱意が無いとか、話していることがわからないとか、授業に工夫が無いとか言います。両者はすれ違いですね。社会の中での大学の意味も失われてきています。いまや大学を出たところで何か保障されるわけではなく、漠然とした教育制度の中で大学に行くことが求められています。それに対して多くのアジア諸国では、大学を出ることと生活、社会における地位などが密接に関わっています。これは別に大学進学率が低いからではありません。たとえば台湾などでは大学進学率が日本を軽く超えていますが、それでも「学歴」が重要な意味を持ち、博士をもって一人前というところまで来ています。しかし、頑張ることに意味が無く、価値が多様化・相対化し、宗教的倫理観も無い社会において、「教育」が何をすべきかということは大きな問題であると思います。江戸末の激動期、逆に「読み書きそろばん」が重視されたという面がありますが、学校教育で何をどこまでやるか再考を迫られています。逆に消費者である学生もまた「自力更正」が求められているのかもしれません。他方、歴史的に見ると、いまの日本の大学は、戦後間も無い時期の教育改革のツケを払わされているといえなくもありません。ひとつは旧制高校の解体、いまひとつは教養学部の強引な設置です。このあたりは専門ではありませんが…将来の大学像については、高山博『ハードアカデミズムの時代』(講談社、1998年)など読まれてはどうですか。

5.チャイナスクール

 外務省にチャイナスクールなど派閥があると聞いているけれども、それは戦後日本の対中外交にどのような影響を与えたのか。(文学部四年) 
⇒なかなか乱暴な質問ですね。「スクール」は中国とロシアにあります。これは日本外務省に限らず、世界各国の外務省にありました。中国やロシアは、その地域の言語や人脈、事情に通じないと外交ができないといった観念から成立したもので、確かにそのスクールが中国やロシアとの強いパイプをもつことで関係が維持された側面があります。日中国交正常化交渉の中国課長の動きなどはそれを示しています。しかし、これは冷戦構造下、あるいはソ連や中国が国際社会で特殊な位置にあったときに通用するもので、グローバリゼーションが進み、またロシアや中国のエリートがアメリカや西欧留学経験者になることによって、逆に英語で交渉、議論する外交官が増加し、各国のロシア/チャイナスクールの存在意義が失われてきました。そして90年代にはいって各国で外務省組織改革が進み、こうしたスクールは解体に向かっています。日本は、それを「いま」やろうとしているということでしょう。しかし、「語学」でキャリア官僚をわけていくいまのシステムではチャイナスクールを完全に消すことは難しいでしょう。他方、確かに中国語ができないで北京に数年滞在しても、英語ができるエリート中国人とだけ話していて情報収集ができるわけではないので、スクールはいらないにしても中国に赴任したら語学くらいはきちんとやってほしいということはあります。外務省のことは古森義久さんらが攻撃していますが、参考文献として今里義和『外務省「失敗」の本質』(講談社現代新書、2002年)があります。

6.中国脅威論

  日本において戦後、幾度と無く中国脅威論が盛んに主張されていますが、ここ数年の中国脅威論については、特に国際産業の空洞化を受け、国内で中国大陸進出に乗り遅れた人々と既に大陸市場に参入している人々との対立の構図がうまく隠されているように思います。実際に、中国脅威論を唱えているのは前者の「乗り遅れた人々」のように思います。ここ数年の中国脅威論をどのように見るべきでしょうか。(学部四年)
⇒まず、昨今の中国脅威論については、第1回の講義でも述べたようにアメリカ起源ということをしっかりと押さえてください。Thomas Cristensenの議論、エンゲージ論のロバート・ロス、中国を過大視することに警鐘をならしたジェラルド・シーガルなどの議論を参照してください。こうしたことをふまえた上で、中国の96年の台湾海峡危機などの軍事行動、世界の工場と呼ばれるに到った経済発展などがあり、そこに日本の経済不振にともなう自信喪失、ポピュリズムとプチ・ナショナリズムの台頭、そうしたことが「中国脅威論」に複合的に反映されています。それに拍車をかけたのが「歴史認識」「戦後賠償」「ODA」などの個別問題です。おっしゃるように、この中国脅威論は、中国で成功している日本人と中国で成功できない、あるいは乗り遅れた日本人の対立構造を捨象しているように見えます。しかし、実際のところ、中国で成功している人ほど「中国の脅威」を知っているという面もあり、一概に言えませんし、中国経済の発展がストップした場合、日本が発展するどころか、より不況が深刻化するという問題もあります。一つのパイを分け合っているわけではないので、こうしたことになります。他方、脅威論を唱えている人が「失敗者」であるとして、そこから何が見えるかということがあります。つまり、産業の空洞化と対中投資の困難さが中国脅威論の背景にあるということになりましょうか。これを歴史的に考えると、確かに日本の対中脅威論としては特徴的です。90年代後半は軍事脅威、いまは経済的な側面ということでしょう。このような変容は何によるのかというと、それは日中関係だけでは決められないということになるのだと思います。…もう少し論点を詳細に説明していただけるとこちらも的を絞って回答できます。

7.人材流出

先日TV東京系の番組だったと思うのですが、
 「今の中国企業は、(農村からというより、)中国国内にいる大学生はあまり世界に目を向けなくなったので、外国に留学して帰ってきた中国学生を当てにしている。」
というようなことをいっていましたが、本当でしょうか。TVの報道も中国の大卒生の面接でpoorな英会話を意図的に(選んで)放送していたようで、番組のポリシーもあったのかもしれませんが。(学部4年)

⇒中国では、一時に比べて「留学熱」がおさまってきました。それは中国国内の大学の環境が著しくよくなったこと、また国内で就職しても相応の収入が確保されたことなどがあります。台湾においても、かつては人材流出を防ぐために新竹の工業地帯に「海外からの帰国台湾人子弟向けに」英語で授業をする学校をつくったりするなど、アメリカの生活環境を再現し、高給を保証したりしましたが、いまでは外国で就職する台湾人は、台湾国内との差を昔ほどは感じていないという話があります。中国でも、たとえば大学の教員とて、一部は既に日本の大学教員の平均収入よりも多く給与を得ている者もいます。上の話は、国内の学生が中国が豊かになり国内の大学や企業環境がよくなったのでだんだんと外国に行かなくなり、また外国に出ていた中国人は中国国内がよくなったのを知って帰国を検討し、企業側は英語ができ、国際的な経験のある人材を欲するところから、「帰国中国人学生」ねらいになったものと思われます。因みに台湾や香港発の文化ですが、ジョンとか、キャサリンとかいった英語のファーストネームを名刺に記した上海人や北京人が増えてきています。

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