博士(法学) 池(チー) 炫周(ヒョンジュウ) 直美(ナオミ)
学位論文題名
金大中政権における「現代化」と社会政策:福祉政策とジェンダー政策に見る自覚と現実の間
学位論文内容の要旨
「国民のための大統領」として国民が期待を寄せた金大中大統領は、新政権成立後、「国民の政府」というスローガンのもとで政権を維持していった。しかし、この新政権は、発足直前に韓国でも最悪な金融危機に直面し、成立と同時にIMFの支援を要求せざるを得なかった。この時期、労働市場の改革というIMFの条件や多くの中小企業が破綻した結果、失業率は急増し、ホームレスはソウル市内の様々なところにあふれ、社会の雰囲気や秩序は、乱れる一方であった。こういった状況を招いた金泳三政権に対する市民の不満や怒り頂点に達し、金大中政権は、このような状況を代えてくれるのではないかという期待を一身に背負ってしまうこととなる。そして、IMFの支援は、国を救済する唯一の手段ではあったが、その条件は「外圧」とみなされ、市民の不満は納まらなかった。
金大中は、まさに経済危機で打撃を受けた社会的弱者(低所得者層、女性、中小零細企業、不安定職業層)の保護を堅く約束したが、また同様に、極めて重要な課題である経済面の再編に直面した。大統領就任後、IMF管理体制のもので市場志向の金融改革や企業改革が進められた中、これらとともに社会福祉のすべての分野で改革を進めていったのである。とりわけ、1)国民皆年金の達成、2)連帯主義的な医療保険統合、3)権利性を明確にした国民基礎生活保護法の制定は、画期的なものであったことを本稿でも述べた。そこで執筆者が本稿で注目したのは、「財閥改革」や「金融改革」ではなく、むしろ同時に打ち出された「真の豊かさ」を推進するため、また韓国を「真のOECD国家」または「先進国」にするためのいわゆる「New Politics・現代化」政策である。その政策の中でも、得にジェンダーと福祉政策に焦点を置いている。ここに焦点を置いた理由は、韓国政治の中でも、とりわけ経済格差が深刻化する上で、その問題に対する平等な分配と国民の福利の拡大、そして社会平等を促進することが重要な点だと考える。
もうひとつ本稿で注目し新たに提示するのは、IMFと金大中政権との関係である。韓国政治における「IMF時代」がどういう意味をもったのか、また「IMF時代」をどう説明・納得していったのか、この点について説明を加えていくことによって、金大中政権の全体像が見えることと、また金大中が促進した政策の意図が見えるのではないかという確信があり、それを説明しようと試みた。具体的に、IMF支援を受けるようになる金大中政権は、一方でIMFが合意文書に強調した金融政策や財閥改革などは、IMFの指示通り行っていたのに対して、他方で、福祉、ジェンダーを含む社会政策に関するIMFの提案に対しては、IMF以上のものを推進して行き、韓国の人々を納得させるように、社会政策を訴えてきて、国内におけるIMF介入に関して、ある程度バランスを取っていったということが、金大中政権の最大の特徴であったと執筆者は本稿で主張したい。
したがって、金大中の戦略を説明するための分析枠組みとして従来の福祉政治論や制度論では、説明しきれない部分があり、第1章では、従来の研究をまとめた上で、金大中政権の社会政策の改革について「言説制度論」が持つ可能性について述べ、金大中政権の社会政策の改革と政権の正当化を韓国特有の現象ではなく、より一般化した現象であることを確認し、「言説制度論」の分析枠組みを用いる。
第2章では、韓国における社会政策の決定過程の特徴とパターンを、1960年代以降からIMF危機以前までを年代順に沿って、韓国の社会政策を具体的なデータに基づいて分析をし、金大中を推進した社会政策の改革がどのように画期的であったかを、それ以前の政権と比較することによって浮き彫りにすることを試みる。
金大中は、彼の演説で「民主主義・市場経済・生産的福祉の均衡的発展」を目指すことを新たな理念とし、その際、生産的福祉は「民主主義の実質的完成」と「市場経済の持続的発展」のために必要であると述べ、また、「すべての国民が人間的尊厳性と自尊心を維持できるように、基礎的な生活を保護すると同時に、自立的かつ主体的に経済・社会活動に参与することができる機会を拡大し、分配平等性を高めることによって生活の質を向上させて、社会発展を追求する国政理念」と述べている。こういった金大中大統領の「生産的福祉」理念のもとで、福祉やジェンダー政策といった社会政策の大幅な改革が極めて重要な位置を占めた。第3章では、こういった金大中のビジョンと思想的背景を彼の著書や演説などを材用により具体的に分析することを試みる。
金大中政権において、ジェンダー政策と福祉政策の改革は、重視され、また急速に行われてきたことを第4章と第5章で分析し、説明を加える。改革の結果、ジェンダー政策の面では、女性の政治参加、男女雇用の平等の強化、そして社会保障制度面では、より包括的なセイフティー・ネットの構築などといった成果をあげたことも本稿で述べている。本稿では、こういった制度のある種の規範的モデルを提示したかったのではなく、むしろどのような過程で政策が形成され、どういった結果をもたらし、社会にどういった影響を与えたかたという点に着目したのである。金泳三政権やそれ以前の政権における経済・開発優先路線が重要視されてきた一方で、なぜ金大中政権において、社会政策の改革が行われ最重要課題とされたかという問題に対して執筆者なりの説明や分析を加えたいと考える。
最後に、本稿では、修士論文のころから継続して取り組んできた民主主義や民主主義の定着(consolidation to democracies)との関連としても説明を加えることを試みた。序論でも述べたように、1987年の6.29民主化宣言をきっかけに同年12月16日始めて公正な大統領選挙が実現した。1980年代の民主化運動の性格は、いわゆる「手続き民主主義」または「政治的民主主義」の達成に位置つけられるが、しかし、それ以前に行われた民主化運動は、もうひとつの性格をもっており、それは、修士論文でも述べたように、カトリック団体のような、いわゆる「実質的民主主義」または「平等主義的民主主義」の達成の試みである。1980年代民主化以降は、「手続き的民主主義」は実現したものの、「実質的民主主義」の面では、経済成長の名の下で「パイを平等に分ける」というよりは、「できるだけパイを大きくする」という点が強調されてきた。こういった経済重視の政策がもたらし一つの結果が金融危機であった。金融危機は、「人間の本当の豊かさ」「社会的平等」などといった概念を改めて認識する大きなきっかけとなった。そして、金大中自身は、長年の在野活動でもとりわけ重視していた平等の理念は、社会政策の改革に踏み込んだ一つの要因であった。金大中の改革は、執筆者の長年の関心である「実質的民主主義」を強化する重要なファクターでもあることを述べる。(2829字)