11月初旬に旅行で青島を訪れた。久しぶりの家族との旅行であったので、当初は上海か北京に行こうと思ったのだが、両者ともにフライトが満席で全く予約できず、青島しかあいていなかったという消極的な理由で青島になったのである。青島は、青島档案館・図書館の調査や旅行などで、だいたい年に一度は訪れている。
青島といえば、Haierの本拠があり、空港をおりてから市内に向かう幹線道路沿いにその本社と工場が連なる。日本でも有名になったハイアールだが、もともとは一中小企業に過ぎなかった。それを世界のハイアールにのし上げたのは、品質管理とアフターサービスに底的にこだわる女性経営者であったという。低コスト、良好な品質、手厚いアフターサービスこれらが好評で、中国だけでなく、アメリカなどでもシェアをのばしている。だが一方で、中国においても、たとえば「小資」(都市に住み、英単語まじりの南方中国語を話し、決してブランド品で身を固めず、成金とは異なって、個性を重視したファッションやライフスタイルをまとい、高級マンションにすむ人々)などは、ハイアールではなく、もうすこし「高級」で「個性的」なものを求め始めているという。
さて、この青島だが、80年代はじめまでは、海軍の基地があったこともあって「管制」地区であったが、その海辺が80年代に「解放」され、いまでは大きな資源となっている。無論、良好な漁場を眼前にひかえた漁業は主要産業であり、市内の海鮮レストラン「海夢園」などには近海ものの魚が水槽に数多く泳いでいる(この水槽の規模には驚いた)。だが、昨今話題になっているのは、2008年の北京オリンピックである。ここ青島は、2008年のオリンピックのヨットなど8種目の会場なのである。それにあわせて砂浜に面した地区には1平米1万元もする高級リゾートマンションが立ち並ぶ。中国国内の金持ちだけでなく、韓国人の購入が顕著という。このオリンピック会場、これから整備されていく。落札したのはカナダの企業だと聞いている。
この10月、160名からなる青島市大型代表団が日本各地を訪問した。彼らは日本からの投資を呼びかけた。オリンピック関連事業への投資はいまからでも間に合うというのである。だが、冒頭に書いたように青島と日本のつながり、必ずしも戦前ほどホットではないようである。ギョーザという山東方言で「鍋貼」のことをいう習慣にしても、戦後日本には青島引き上げ組がもたらした「文化」が数多くあるのであるが、どうも北京や上海、大連に比べると、記憶としての青島はそれほど日本人に継承されていないらしい。
昨今、青島をめぐる日中関係を襲った特に大きな問題が、中国野菜残留農薬問題であろう。これにより、商社などが農産品輸入を見合わせた。冷凍野菜などの加工農産品の対日輸出がストップしたことは、山東農民にそれなりに影響をあたえている。日本人向けの野菜が必ずしも中国市場に適しているわけではないため、輸出先が輸入をとめたとき、「ならば国内市場に」というわけにはいかないのである。冷凍野菜・乾燥野菜、こうしたものの取引をカルビーまでがとめてしまった。カルビーは「かっぱえびせん」で有名だが、北京に拠点をおく「カルビー財団」は北京に筆者の知る限り最強の日中文化交流マネージャーである丸井憲氏を擁する知る人ぞ知る文化交流部局を有する(日本の政府系文化交流団体カルビーにもっと学んでほしい)。このカルビーが農産加工品の取引を青島で停止(乾燥野菜などの部分)したことは、日中関係全体にも相応の影響を与えることになるだろう。日中関係だけでなく、これからの国際関係における「市場」の論理のうち、農業だけはどうも「競争」に必ずしも馴染まないようである。ことに東アジアでは、主流政党が農村を基盤としている。農業が今後の東アジアの地域づくりのポイントとなることは明らかだろう。
青島それじたいの旅行はたいへん楽しかった。ろう(山+労)山の「索道(ロープウェイ)がとまっていたことは誤算だったが、かつてのドイツ政庁(現、人民代表会議)や教会などは実にみがいがあった。ドイツ風建築の保存について、もう少し先を見越した手厚い手当が必要と感じたが、これも現在における必要性の問題に帰着するのだろう。
だが、青島が観光客受けする場であるかということになると首肯しかねるのも事実だろう。飛行機の席が空いていたのはなぜか、考えさせられる旅であった。
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